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葛飾北斎(1760~1849)の未発表作品103点が9月末から大英博物館で初めて展示公開される。題して絵手本「万物絵本大全図」展。北斎の未見の作品にお目にかかれるとは、北斎ファンなら、コロナ禍でなければすぐにも飛んで行きたいところだろう。

 

未発表だったのは同絵手本が出版されなかったことによる。ところが幸運にも版下絵(原画)が残り、海外へ。その後長らくフランスの収集家が所蔵していたが、大英博物館が2019年に購入した。オンラインでは一足早く公開された後、調査研究を経て博物館での展示にこぎつけた。

 

こうした経緯があるだけに展覧会は大変に興味深い。中でも私は北斎がこれら作品を描いたとされる文政12(1829)年という時期に注目したい。

 

北斎は70歳を前にした文政10年頃に中風に倒れており、作画はちょうど病後にあたるのだ。中風は一般に脳卒中の発作による後遺症で半身不随の症状が伴う。浮世絵師が絵筆を握れなくなったら一巻の終わりだ。その大ピンチを北斎は柚子を煎じて飲み、自力で治したと『葛飾北斎傳』(飯島虚心著、岩波文庫)にある。

 

多作で有名な北斎もこの時期の作品は少なく、これまで病気もその理由の一つとされてきた。しかし103点もの作品の存在は、北斎が病に負けることなく、健筆を執り続けたことを物語る。小品なので細密画を描くように細心の注意も払ったことだろう。

 

大英博物館購入のニュースで103点もの存在を知った私は、北斎がこれらをリハビリも兼ねて描いていたに違いないと、北斎の転んでもただでは起きない、その心意気にすっかり感心したのだった。

 

そうやって病魔を克服し、70代を迎えた北斎は、周知のように『富嶽三十六景』『富嶽百景』と次々と傑作を発表して行った。

 

葛飾北斎「冨嶽三十六景 江戸日本橋」

 

題材の国際性も興味深い。中国や朝鮮、インド、オランダ、南蛮(ポルトガル)、安南(ベトナム)、ルソン(フィリピン)など多岐にわたるようである。私は近著『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)で北斎に「国際派」の称号を与えたいと思ったほどだが、実のところ北斎の関心は『北斎漫画』に見るように森羅万象に及ぶのはもちろん、鎖国体制下にも拘らず、その視野は海外にも広がり驚嘆に値する。

 

また浮世絵師は注文を受けて描くので、そうした題材が多かったということは、浮世絵を愛好した江戸の庶民たちの海外への関心や好奇心も強かったということになる。

 

北斎に、長崎出島のオランダ商館長一行が江戸参府の際に宿泊した日本橋の長崎屋を描いた作品がある。その構図がまた面白い。長崎屋の中を覗き込もうと宿の前に群がる江戸っ子たち、それを上階から興味深げに見下ろす商館長。さらにその両者に目を注ぐ北斎。開国への足音がもうそこまで近づいていることを思わせる。そしてそこから浮かび上がる、今日に繋がるような、好奇心一杯の日本人像が何だかとても微笑ましい。

 

鎖国とは、文字通り国を完全に閉ざしていたのか、実際はケース・バイ・ケース、言わば選択的鎖国(開国)ではなかったか。近年、鎖国とは何であったか問い直しが行われている。展覧会はそうした鎖国の研究にも一石を投じるかもしれない。

 

最後に本来なら存在しない運命の版下絵が残り、しかも遠くヨーロッパへ渡ったことの不思議さも関心を呼ぶ。展覧会を機にその謎を誰かが解明してくれたら、これまた面白い。英国でも北斎ファンが増えることを期待したい。

 

筆者:千野境子

 

 

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【永遠の北斎】シリーズ

 

 

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