Who Benefitted from the Trump-Kim Summit? Xi Jinping and China

U.S. President Donald Trump and China President Xi Jinping

 

逆説的と思われることを承知で書く。不思議でならないのは世間一般がトランプ米大統領と習近平中国主席に感謝しないことだ。

 

米中対立のはざまで立ち回る難しさを述べる人が多い。もちろん前門の虎、後門の狼に挟まれた感はある。中国がノーチェックでどんどん経済面でも軍事面でも勢力を拡張していった方が良かったのか。そしてそれにもかかわらず米中が接近し、中国がそれを奇貨として日本を袖にするのがいいのか。

 

そんな極端なことがあるはずはないと言う人に聞きたい。かつてジャパン・パッシングと嘆いたのはどの国民だったか。米中関係が悪化する前に習近平主席は安倍総理と握手する際、こちらの顔も見ようとせず手を突き出してきたのをお忘れか。

 

習近平主席から始めよう。ご承知のように約30年前、天安門事件直後に鄧小平主席は韜光養晦を唱えた。中国が十分に力を蓄えるまで爪や牙はちらつかせるなと言う意味だ。江沢民主席、胡錦濤主席とこの教えは引き継がれ中国は実力をつけていった。習近平主席は就任早々から中華民族2049年の夢で大国主義を打ち出した。李克強首相は中国製造2025年で一種の自給経済目標を提示した。いわばトップギアでの発進である。有り難いことに中国の指導者が自ら目覚まし時計を鳴らしてくれたわけだ。もちろん善意で我々を起こしてくれた訳ではない。国内をまとめるためにナショナリズムを鼓舞する必要があったのだろう。たしかに耳障りかもしれない。では鄧小平流の忍び足で静かに進んで国際社会がある日気付いた時は遅かったという方が良かったというのか。韜光養晦を懐しむ人に言いたい。それは「騙し続けて欲しかった」という歌謡曲の歌詞そのままではないかと。

 

次はトランプ大統領である。今や共和党穏健派も民主党も中国脅威論者である。トランプ大統領に同調する訳ではない、せっかくWTOに入れてやったのに酬おうとしない中国の所業のためだと言う。しかし中国は一党独裁で国家企業が過半の国である。WTOに入れたからと言っても民主化したり本当の市場経済になる筈が無いことは所詮分かりきっていた。知的所有権ではずっと問題があった。急に中国が「悪い子」になったわけではない。中国はこういうものなんだという一種の諦観が世で支配的だったと思う。中国の経済政策、5Gでの中国のリードをこのまま放置しておくわけにはいかないと最初に警鐘を鳴らし是正に取り組んだ指導者はトランプ大統領である。数年前そういう議論をするナヴァロやピルズベリーなどの論者は異端扱いだった。今や多くの欧州首脳も対中警戒を言う。しかし、たかが4年前彼らはなだれをうってAIIBに突進したではないか。けっしてトランプ大統領の手法自体を是認する訳ではない。もし自国中心主義をこれほど前面に出していなければ説得力もより大きかったろう。米国には出来るだけ早くマルチラテラリズムに戻ってもらう必要もある。しかしトランプ氏の手法だけに目を奪われず彼のおかげで世の対中観が急転換し正視するようになったことを忘れてはいけない。

 

終わりに米国と中国の変化に触れる。米国についてはもしトランプ大統領が変わったら次の大統領は同様に対中強硬策をとるだろうか。今多くの人はしかりと答えるだろう。しかし二つのことを忘れてはならない。一つは選挙の年は、候補者はみな強硬派の姿勢をとることである。もう一つは新政権はあらたな政策をとろうとするものであることだ。オバマ大統領はブッシュ大統領の政策を引き継がなかったし、トランプ大統領は、オバマ政権の施策をほぼすべてひっくり返した。新大統領があらたな対中政策を模索する可能性は十分ある。そのときは右を支持しつつ対中軍備管理交渉の必要性は釘をさすべきだろう。私は対中相互依存、友好を信じるものだが、中国の軍備拡張には懸念を持たざるを得ないからである。

 

次に中国である。中国は世界のどの国よりも早くコロナ問題の収拾に成功したと報じられている。先進国がアップアップしている中でいちはやく途上国支援にまで乗り出した。印象的である。あたかも新しい指導国中国が出現してきたかの感もあった。しかしすなわち発生源は中国であることに自ら疑問をなげかけ、世界は中国を見習い感謝すべきであるとの外務省報道官や国営メディアの発言を見て中国変わらずの感を持った人が多かったろう。けっして謝らずむしろ弱みがあるときことさら強気に出るというおなじみの中国がそこにあった。WTOが中国の統治を変えなかったようにコロナウイルスも中国の心理を変えるには至らなかったのである。

 

著者:藤崎一郎

 

■藤崎一郎

1947年神奈川県生。1969年外務省入省。アジア局参事官、在米大使館公使などを経て、1999年北米局長、2002年外務審議官、2005年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使、2008年駐米大使、2012年退官。現在、日米協会会長、中曽根平和研究所理事長、北鎌倉女子学園理事長などを務める。慶応大学、ブラウン大学、スタンフォード大学院にて学ぶ。

 

 

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