「オランダは小さな国に不相応なほどに多くの絵画の巨匠たちを出した」。司馬遼太郎さんの『オランダ紀行』の一節である。司馬さんは、その一人であるフィンセント・ファン・ゴッホについて、多くのページを費やした。
恥ずかしながらこの本を読むまで、ゴッホをフランス人だと信じていた。東京・上野の森美術館で開催中の「ゴッホ展」でも、ゴッホに抱いていた勝手な思い込みが覆される。
初期の作品は、炉端でうなだれている農民の姿などを暗い色調でリアルに写し取っている。後に「情熱の画家」と呼ばれるイメージからはほど遠い。当時、芸術の中心だったハーグで活動する画家たちは、現実の生活をありのままに描こうとした。正規の美術教育を受けていないゴッホが、その影響を強く受けるのは当然である。
ところが1886年、32歳でパリに出ると作風ががらっと変わる。クロード・モネを筆頭とする印象派の技法を積極的に取り入れるようになったからだ。やがて大胆な筆致と強烈な色彩を特徴とする、あの独自のスタイルに行き着く。今回の展示では、「麦畑」や代表作の一つである「糸杉」に、ゴッホの真骨頂を見ることができる。
パリ時代のゴッホが日本の美術に夢中になった事実も、よく知られている。浮世絵を模写した作品まで残した。ゴッホをモチーフにした作品もある作家の原田マハさんは、日本美術のDNAを受け継いだゴッホとゴッホが大好きな日本人は、「相思相愛」だと指摘する(『ゴッホのあしあと』)。
それでも、37歳で自殺したゴッホについてはまだ誤解が多い。「狂気の天才」という印象が強いが、原田さんによればむしろ「努力の人」であり、語学の才にも恵まれたインテリだった。
エネルギッシュな作風で時代を超え愛される画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)の創作の軌跡を追う「ゴッホ展」(産経新聞社など主催)が10月11日、上野の森美術館(東京・上野公園)で開幕し、話題となっている。
同展は故国オランダのハーグ派、フランスの印象派という2つの芸術潮流と出会うことで、ゴッホの絵がどう変わり唯一無二の表現を獲得しえたのかを探る。
世界10カ国からゴッホ作品約40点と、彼に影響を与えた画家たちのおよそ30点が結集した。令和2年1月13日まで開催。その後、同年1月25日から3月29日まで、兵庫県立美術館(神戸市中央区)に巡回する。