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ホワイトハウスの周辺がふだんよりずっと広く厳しく封鎖されていた。つい米中枢同時テロでの首都ワシントンの緊迫を思い出すほどだった。
8月26日午前11時すぎ、取材先を訪れるため中心部に車で入ったときだ。その少し前にアフガニスタンのカブール空港で自爆テロが起き、米軍将兵多数が殺傷された報がホワイトハウスに届き、すぐ厳戒措置がとられたのだ。
アフガニスタンでの政権の崩壊と米国人らの大脱出の混乱はバイデン大統領への超党派の糾弾を生んだ。そのうえの米軍人の死傷は政権の大失態を裏づけ、統治の危機をももたらした。
だが米国のこの歴史的な失態は日本の対アフガニスタン政策の崩壊をも生んだことは意外と提起されていない。
日本はタリバン政権が首都から撃退され、新たな国づくりが始まった2001年末から一貫して米国と歩調を合わせ反タリバンの新政権への大規模な支援を続けてきた。
日本のこのアフガニスタン共和国新政権への経済支援は昨年までに総額約70億ドル(約7800億円)に達した。同政権への各国からの支援でも米国に次ぐ第2位の貢献度だった。日本の全世界への政府開発援助(ODA)でも19年の無償援助ではアフガニスタンが1億2000万ドルで世界第2位、1位はミャンマーだった。
日本にとってアフガニスタン支援は対外政策の枢要部分でもあったのだ。援助の内容は旧タリバンの武装解除から社会復帰、地雷撤去、警察機構の強化と、国内の治安維持から軍事までからむ資金供与だった。インフラ面での幹線道路や空港の建設、産業面での農業改良の援助も大きかった。
日本政府のこの支援政策の目標は一貫してアフガニスタンでの民主主義、人権尊重、法の統治などに立脚する新たな国家建設だった。12年に日本が主催した東京でのアフガン復興支援国際会議でも米国はじめ60以上の諸国がこの国づくり支援に改めて合意した。
日本はそのうえに昨年11月のジュネーブでの復興支援国際会議でも、茂木敏充外相が「過去19年間の国づくりの成果を確実にするため日本は24年まで毎年、少なくとも1億8000万ドルの援助を続ける」と公約していた。その援助の相手の政権がこの8月、あっというまに崩壊してしまったのだ。
私にとって02年2月、タリバンが敗走した後のカブールでの取材で、過酷な支配からの解放を喜ぶ市民たちが日本への期待や親しみを述べていたことは忘れ難い。国づくりへの日本の支援はまちがいなく歓迎されていたのだ。
だがいま政権を奪ったタリバンはイスラム原理主義の下で民主主義、人権尊重、法の支配という価値観を目指したアフガニスタン共和国政権を全面否定する。日本政府は米国と同様、この急展開をまったく予想できなかった。日本の巨額の援助もその相手が消滅したのだから水泡に帰したといえよう。
軍事忌避の日本にとって軍事面の動きを無視した経済外交は失態につながるという教訓でもあろう。米国の失策を対岸の出来事と批判することもできない。今回のアフガニスタンの事態は戦後の日本外交の最大級の失態を生んだのだ。
筆者:古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員)
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2021年8月29日付産経新聞【あめりかノート】を転載しています