By Miomir Polzović - Serbian National Theatre, CC BY-SA 3.0, httpscommons.wikimedia

By Miomir Polzović - Serbian National Theatre, CC BY-SA 3.0, Courtesty: https commons.wikimedia

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東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視ともとれる発言の責任を取る形で辞任しました。日本のイメージを下げたことから言えば、妥当なことでしょう。しかし、欧米で言われるほど、日本の女性は虐げられているのでしょうか。また、弱々しい存在なのでしょうか。そんなことはありません。誤解をしないで頂きたいと、私は感じます。

 

日本女性の理想像に《大和撫子》という表現があります。《大和撫子》は、いかなる苦難にあっても嘆き悲しむのではなくて、凛として自分の意思と努力で頑張り続ける、強い女性のことです。技術革新が進むまでは、多くの職業で筋力が求められていました。その時代には女性は、農業でも戦でも、力では男性に太刀打ちできませんでした。

 

しかし、日本では女性は心の強さでは決して男性に負てはいませんでした。男性に服従するのではなく、毎日静かな努力をしていたのです。その姿を目にした男性の心に自然に敬意を育てる、それが長い間日本女性の理想とされてきた《大和撫子》なのだと、私は思います。

 

勿論、《大和撫子》は理想であって、完全な《大和撫子》はほぼいません。しかし、多くの女性が《大和撫子》の一部をもっていたりします。

 

それなのに、どうも欧米からは、日本女性は「虐げられた弱々しい存在だ」と誤解されている気がします。

 

欧米では、日本女性といえば米海軍士官に捨てられて自殺した「蝶々夫人」がまず頭ら浮かぶのかもしれません。しかし、これは米国人ジョン・ルーサー・ロングが書いた小説の架空の登場人物です。蝶々夫人は外国ではオペラで度々上演される演目ですが、日本ではあまり上演されません。

 

つまり、蝶々夫人に共感する日本女性は多くはいません。

 

一方、実在の人物をもとにして歌舞伎や浪曲・落語の作品となって日本人の人気を博したのは、遊女の仙台高尾であり紺屋の高尾です。

 

仙台高尾は、贅沢を約束してくれる伊達藩藩主に冷たくしたために切り殺されたと言われています。

 

紺屋の高尾は、吉原を出た後で紺屋を営む職人と結婚して商売を繁盛させました。

 

どちらの高尾も、自分の意思で自分の人生を生きたのです。日本人が好んできたのは、不利な立場にあっても、くじけず自分の意思で努力する。そんな女性達の物語でした。

 

ですから、外国から「あなた達日本女性は、虐げられた被害者なのだ」と聞かされて、日本女性に被害者意識が植え付けられる事を、私は心配しています。

 

今の日本では、多くの女性達が、職場では(特に収入面で)確かに不利な立場を割り振られている確率が男性よりは高くなっています。それでも、自分で働いたり、現行の補助制度を使ったりして、自分の力でより良く生活しようと頑張っています。この無数の女性達の頑張りが、周囲の男性の心に自然に敬意を育てているから、少しずつ管理職に登用される女性が増えているのです。

 

30年もこの調子で行けば、日本の職場環境はかなり変わるでしょう。こうしたボトムアップ方式ならば、日本社会全体が自然な形で変わります。

 

一方で、国会議員や大企業の管理職の割合が○○%になれば男女平等社会になったと判断するのは、間違いの元です。国会議員や大企業の管理職は、男性の中でもエリートです。エリート女性が高い地位につくということは、社会のごく一部にすぎません。

 

女性であろうと男性であろうと、仕事で認められるには「どんな仕事を実際にしたか」です。「私たち女性は被害者だから、40%のポストを寄こせと男性に要求(懇願)せよ」と、国際社会から呼びかけられても、いまのところ、そんなみっともない要求(懇願)をしている女性達は、日本ではさほど多くはないようです。

 

なぜならば、男女が真に笑顔で共生しうる社会に必要なのは、見た目の男女平等を装う男性達の譲歩ではなく、男性達の真の敬意です。自然に心に生まれる敬意です。だから、私は要求したくないのです。要求すれば、「与えてやった」と恩着せがましく、軽蔑されるだけですから。

 

日本女性は、より良い明日の為に努力する心を持っています。そして日本女性は、その努力で、家庭では深い敬意を払われ続けてきました。その日本女性が職場へ進出したのです。いつの日か家庭で捧げられていた母への敬意が、すべての職場で働く日本女性に捧げられる日がやってきます。

 

要求などしなくても、すでに認められ、頼りにされ、その地位を捧げられる動きは始まっています。

 

森さんですら、会見の最後に、そう言っています。「私どもの組織委にも女性は何人いる? 7人くらいかな。みんなわきまえておられる。みんな競技団体からのご出身、また国際的に大きな場を踏んでおられる方々ばかりです。お話もきちっと的を射ており、欠員があればすぐ女性を選ぼうとなる」。

 

欧米のやり方とは違っているかもしれません。欧米のやり方を取り入れた柔道は、体重別で勝負する事になりました。しかし日本古来のままの相撲は体重別ではありません。

 

男女が一緒に政治をするときに男性6割・女性4割で議会をつくろうとするのは、体重別で勝負するべきだという欧米流なのかもしれません。欧米では結果の平等を求めるのかもしれません。

 

しかし体重差で分けないのが、日本流です。ですから機会の平等が本来の日本です。

 

日本では結果が出るのに時間がかかりますが、欧米の皆さんには、自分達のやり方と違うからといって誤解しないでいただきたいと、私は思います。

 

筆者:長谷川七重(漫画家)

 

 

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