~~
日米開戦の口火を切った1941年12月7日(日本時間8日)の米ハワイ真珠湾攻撃から81年がたった。攻撃により米社会で強まった反日感情と人種差別のために強制収容された日系人を親に持つ子供や孫の世代は今、人種構成が多様化する移民国家の実情を反映して、「アジア系」のアイデンティティーを併せ持つ。節目の日を前に取材した家族は、米中対立が激化する中で中国から感染が拡大した新型コロナウイルス禍がもたらした反中感情の高まりや差別と向き合い、アジア系として生きる未来に不安を覚えていた。
「新型コロナを『中国ウイルス』と呼んだトランプ前大統領は、アジア系米国人が新型コロナに関係があるかのような振る舞いで、アジア系に対する敵意を作り出した。それは、先の大戦時に日本と開戦したルーズベルト政権が日系人を『敵性外国人』と呼び、スケープゴートにしたのと同じ構図だ。こんなことは二度と起きてはならない」。日系3世の弁護士タラ・ウーさん(年齢非公表)11月13日、米首都ワシントンでの取材にこう語った。
■日系の妻と中国系の夫
タラさんの父、ムツオ・ヒロセさん(94)は日米開戦後に強制収容された日系2世。タラさんが新型コロナ禍の中でアジア系に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)を助長したとされるトランプ氏の発言に反感を抱くのは、弁護士としての正義感に加え、中国系の夫ジェフさん(43)と12歳になったばかりの息子の将来を案じるからだ。
取材の前夜、ヒロセさんは首都ワシントンで催された日系の退役軍人を顕彰する式典に招かれ、自らの体験を語っていた。タラさんとジェフさんは、身近な家族が打ち明ける日系人強制収容の歴史を「自由と平等を掲げる米国の民主主義の失敗例だ」と受け止めた。
■反日感情が人権侵害に
真珠湾攻撃が起きたとき、ヒロセさんは13歳。当時暮らしていた西部カリフォルニア州の海辺の町で釣りをした後の帰り道、米軍が移動しているのを見かけて不思議に思い、自宅に着いたところ、真珠湾攻撃のニュースが流れていたという。
翌朝、登校すると、校長は、ヒロセさんに生徒を代表して国旗を掲揚し、米国への忠誠を誓うよう求めた。ヒロセさんは「先生は、生徒の間に反日感情が高まるのではないかと心配し、みんなの前で米国人としての証を立てる機会をくれた」と感謝の気持ちを交え振り返る。ただ、校長の懸念は的中し、米社会の反日感情は高まり、西海岸に住む日系人12万人の自由と財産を奪い、全米10カ所の収容所に移送する|という人権侵害に発展していった。
強制収容の端緒となったのは、開戦から2カ月余り経った42年2月19日、ルーズベルト氏が署名した大統領令9066号。スパイや破壊活動を防ぐためとして、指定した軍事区域から住民を立ち退かせる権限を陸軍司令官に与えるもので、ヒロセさん一家も自宅を追われ、4年間に及ぶ収容所での生活が始まった。ヒロセさんは「米国生まれの米国人なのにどうして…」と自問自答する日々だったという。
■米軍人として日本へ
もともと、人の住んでいない場所に建てられた収容所の生活環境は「夏は酷暑、冬は極寒」という厳しいもの。ヒロセさんの父親はカリフォルニア州のツーリレイク収容所で病死した。一家の大黒柱を失う中、高校を卒業したヒロセさんはすぐに徴兵された。すでに戦争は終結しており、新兵訓練を受けたヒロセさんは46年、占領下の日本へ派遣され、東京の連合国軍総司令部(GHQ)で働くことになった。
ヒロセさんの父親は山梨県、母親は札幌市の出身。初めて訪れた両親の母国は戦火で荒廃し、人々は皆貧しかった。ヒロセさんは、来日を知った親族に助けを求められ、「ずいぶんと多くの生活物資を米軍の売店で購入して渡したが、誰一人として『ありがとう』と言ってくれなかったのが悲しかった」と振り返る。占領軍としてやってきた日系人に対する当時の日本人の心情は、親族であっても複雑なものがあったといわれている。
■模範的な日系人
3年間のGHQ勤務を終えて退役したヒロセさんは、故郷カリフォルニア州に戻り、「GIビル」(除隊兵のための奨学金)で大学へ進学、教師となった。結婚して生まれたタラさんは東部コネティカット州ニューヘイブンの名門エール大を卒業。英オックスフォード大への留学経験もある。弁護士となった娘と教師の父は、戦後も色濃く残る差別をはね返し、米社会での地位を高めていった。「モデル(模範的な)・マイノリティー」と形容される真面目で勤勉な日系人の姿を象徴するものだ。
戦後の日系社会は、戦時中の欧州戦線で奮闘した日系人部隊で数多くの栄誉を受けたダニエル・イノウエ氏(上院議員などを務め、2012年没)ら有力な政治家も生み、彼らは70年代に活発化した強制収容への謝罪と補償を求める運動を後押し。88年8月10日、当時のレーガン大統領は強制収容を公式に謝罪し、補償を約束した「市民の自由法」に署名、日系人の名誉は回復された。
ワシントン近郊の米国立陸軍博物館(南部バージニア州)エントランスから駐車場へと延びる「回想の小道」にずらりと並ぶ各部隊の顕彰碑の1番目に位置するのは、イノウエ氏らが所属した第442連隊戦闘団を記念したもの。先の大戦に従軍した2世ソルジャー(兵士)に米社会が払う敬意の強さがうかがえる。
■反中感情への恐れ
ただ、日系やアジア系に対する差別が米社会から消えたわけではない。ヒロセさんが体験談を語った式典で挨拶した日系(アジア系)初の海軍大将、ハリス元米太平洋軍司令官は「戦中戦後に差別や偏見と戦ってきたヒロセさんら日系退役軍人は今日、アジア系への憎悪犯罪と戦い続けている」と指摘した。
米主要都市での憎悪犯罪のデータを分析しているカリフォルニア州立大の憎悪・過激主義研究センターが今年夏に公表した報告書によると、2021年のアジア系に対する憎悪犯罪の発生件数は21都市で369件と、20年の114件と比べて約2・2倍に増えた。最も多かったのはニューヨーク市で133件。カリフォルニア州サンフランシスコ市60件、同州ロサンゼルス市41件と続いた。
タラさんの夫ジェフさんは両親が中国出身。ジェフさんは南部テキサス州で生まれた米国人だが、中国系に向けられる偏見や差別を感じながら育った。「差別が完全になくなることはない」と話すジェフさんに、米中対立の激化がかつての日系人に向けられたような敵意を、中国系やアジア系にもたらすことを懸念しているかと尋ねると、「とても心配だ」と即答した。
ジェフさんは自らの考えを確かめるように、一言ずつ区切りながらこう続けた。「第二次大戦時に義父(ヒロセさん)の公民権を奪った強制収容は極端な例で、今の時代に同じことがアジア系に対して起きるかは分からない。ただ、差別や偏見は人間の本性に根ざしているものだ。敵意がどんな事象となって現れるのかは予想できないが、新たな恐怖や犠牲者を生むのではないかと懸念している」。
筆者:平田雄介(産経新聞)
◇
2022年12月7日産経ニュース【アメリカを読む】を転載しています