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1853年、ペリー提督は苦情を携えて日本を訪れた。当時の日本は米海軍を脅かす大国ではなかったが、技術進歩のおかげで船舶の航続距離が伸びると、鎖国中の徳川幕府は難破船の救助を拒むか、場合によっては船員を殺害した。

 

ペリーは、遭難船に国を開くよう日本に要求する大統領親書を手渡した。黒船の実力を痛感した日本では新政府が成立し、明治維新によって日本は急速に強国となった。

 

朝鮮半島が敵対国家の支配下に入ると日本列島が危うくなるのを知る日本は、1894年に中国(清)と戦い、半島でのロシアの影響力が許容できなくなると、1904年に今度はロシアと戦った。米大統領セオドア・ルーズベルトは日本の戦いぶりに感銘を受け、ニューハンプシャー州ポーツマスで日露間の和平会議を主催した。その時からルーズベルトは、日本の軍事的能力の監視を米海軍に命じた。

 

 

ミッドウェー海戦以来の復活

 

大国日本は1945年までに壊滅したが、その後の75年間は米国の軍事力が重大な挑戦にさらされなかったので、おおむね安定していた。冷戦の最後の30年間、ソ連軍が脅威を及ぼしたものの、ロシア経済の崩壊で後退した。

 

冷戦後の時代は、米国の圧倒的な力で当初安定しているように見えたが、過去30年間、米国は中国の軍備増強を注意深く監視しなかった上に、米企業が機密性の高い技術を中国に売ることさえ許した。その結果、米軍は、とりわけ日米両国の安全保障に重要な意味を持つ東シナ海と南シナ海で、兵員数、兵器数、ミサイルの射程などが中国軍より劣ることになってしまった。

 

ようやくトランプ政権が米軍を西太平洋へ再び振り向けることになり、海兵隊司令官は先日、そのための10年計画の概要を明らかにした。海兵隊は、沖縄本島を含む南西諸島から台湾へ連なる第一列島線の一部の島に拠点を構える。

 

日本も米国も、単独では中国のインド太平洋地域への脅威を十分に抑止できない。しかし、日米の陸上、海上、航空兵力が統合され、できればオーストラリアやインドとも協力することで、中国が圧倒的な軍事覇権国になるのを防ぐことができる。

 

日本は米国を支援する必要があると言うよりも、日米両国は合同司令部の下で陸海空3部隊を統合した大戦略を実行する必要があると言いたい。それが成功するためには、日本は従属的パートナー以上になる必要があり、ミッドウェー海戦以降で初めて、平和と安全の維持を確かにする大国とならねばならない。

 

日米合同で対中抑止を

 

日本が軍事力を大幅に増強する必要はないが、日本の政治指導者は自衛隊に、強力かつ迅速で頼りがいのある作戦を実行できるような力を与えねばならない。国会への通知を優先したり、作戦上の柔軟性を厳しく制限したりすれば、失敗することは目に見えている。

 

日米合同の防衛大戦略はどちらの国の主権も侵さず、日本の集団的自衛権と両立する。日米両大国のよく調整された柔軟な高度技術の組み合わせで、台湾と東シナ海、南シナ海を支配しようとする中国の試みをくじくことができる。

 

筆者:ジェームズ・アワー(米バンダービルト大学名誉教授)

 

 

国家基本問題研究所(JINF)「今週の直言」第707回(2020年8月11日)を転載しています

 

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