日本捕鯨の展望は? 欧米の手法と技術導入で受けた衝撃から回復を図る

2-1 Votive tablet showing Meiji era whaling by shooting at Hirado Seto
平戸瀬戸の銃殺捕鯨の様子を描いた絵馬

 

前回記事:人々の命を繋ぐ:日本の伝統的捕鯨業の誕生

 

江戸時代(1603-1868)の後期に日本の古式捕鯨業を衰退に追い込んだのは、日本近海に進出してきた欧米捕鯨業による乱獲だった。

 

当時の欧米捕鯨業では、大型の帆船に数隻のボートを搭載して世界中の海に進出し、鯨がいる海域でボートを下ろして鯨を突き取っていた。

 

捕獲された鯨は、帆船の舷側で皮下脂肪を剥がれた。抹香鯨は先頭部の油脂分を汲み取られ、背美鯨は口内の鯨髭を採取したが、残りの鯨体は洋上に投棄された。皮下脂肪は船上の炉で鯨油に加工され、船底の樽に収納して母港に持ち帰った。鯨油は都市の街灯や機械の潤滑油に用いるなど産業革命と近代化を支える物資だったが、鯨は利潤の追求という目的のために乱獲された。

 

2-2 Early Norwegian artillery harpoon whalers, 1st and 2nd Daito Maru
初期のノルウェー式砲殺捕鯨船・第一・第二大東丸

 

西洋の技術と安価な輸出による衝撃近海の背美鯨などが減少した明治時代(1868-1912)、日本の古式捕鯨業は新規漁場の開拓や、既存漁法の改良、銃殺法をはじめとする欧米技術の導入などを図った。しかし、不漁を転回するまでには至らなかった。

 

そうしたなかノルウェーで、動力船に搭載した大砲で炸裂弾と銛が一体化した弾体を発射して鯨を仕留めるノルウェー式砲殺法が発明された。日本海でも明治20年代にロシアの企業によって同漁法による操業が行われ、低価格の鯨肉が日本に輸入されたことで、古式捕鯨業はさらなる苦境に追い込まれた。

 

2-3 Norwegian harpoon cannon
ノルウェー式捕鯨砲

 

日本が西洋流捕鯨に参入

 

それに対抗して日本でも同法の導入が検討される事となり、明治32年(1899)には、遠洋捕鯨株式会社の烽火丸による実験操業と、同漁法による朝鮮海域の操業を企図した日本遠洋漁業株式会社が設立された。後者の後身である東洋漁業株式会社は明治39年(1906)以降、日本各地で操業を行っていく。

 

これによって古式捕鯨業はほぼ終焉を迎え、日本は近代捕鯨業に移行する事となるが、見方を変えると日本もこれで欧米捕鯨業文化圏に包括されたという捉え方もできる。

 

日本がスムーズに近代捕鯨業に移行した背景には、古式捕鯨業時代に拡大・定着した食用鯨肉の需要があった。例えば、佐賀南部方面への鯨肉流通の拠点となっていた大村湾奥の彼杵(長崎県東彼杵町)では、古式捕鯨業の漁場と結んだ舟運による供給から、鉄道輸送による近代捕鯨業の鯨肉の供給に切り替えている。

2-4 Whaling factory ship Nisshin Maru, showing slipway to pull up whales
捕鯨工船・日新丸の鯨を引き上げるスリップウェー

 

欧米の例を真似た日本

 

近代捕鯨業の漁場は東北、北海道などが中心となるが、過剰な捕獲で次第に鯨が減少した。

 

そのため日本の捕鯨会社は昭和9年(1934)以降、船上で解体・加工を行う設備を有する捕鯨工船をヨーロッパから導入して南極海にや北洋に出漁するようになった。

 

第二次世界大戦後、日本は食糧難に対応するためGHQの許可を受けて捕鯨業をいち早く再建し、南極海に向かった。

反捕鯨団体との衝突

 

役割が変わったIWC

 

しかし、その後南極海では日本を含む各国の捕鯨船団が競って大量の鯨を捕獲したため、急激な鯨資源の減少を招いた。そのため、国際捕鯨委員会(IWC)では、特定鯨種の禁漁や捕獲頭数の制限が年毎に厳しくなっていった。

 

そして、昭和57年(1982)のIWC総会では、商業捕鯨の停止(モラトリアム)が決議され、日本も昭和63年(1988)にそれを受け入れた。

 

その後日本政府は、南極海などで調査捕鯨を続け、科学的な資源量と捕獲枠の算定に基づく管理商業捕鯨の実施をIWCで訴え続けた。しかし、反捕鯨国の反対を受けて賛同を得る事が出来なかった。

 

そこには欧米由来の利益追求を最優先した近代捕鯨業を全く無批判に日本捕鯨の伝統の延長線上に位置づけ、さらにモラトリアム以降とも連続するものとして捉えてきたロジック上の問題もあったように思う。その結果、日本政府は平成30年(2018)末にIWC脱退を宣言した。

 

日本は翌年夏には日本近海で管理商業捕鯨を開始した。

 

今後の日本捕鯨の展望は、科学的根拠による捕獲枠算出と、それを厳守する姿勢とともに、縮小に向かう鯨食嗜好の拡大如何にかかっている。

 

(この記事は、日本鯨類研究所の協力で作成されました。この記事に対するコメントをお寄せください。)

 

著者:中園成生(なかぞの しげお)
1963年福岡市生まれ。熊本大学文学部(民俗学)卒業後、福岡県、佐賀県内で文化財・社会教育業務に従事。その後生月町(現平戸市)に移り1995年より博物館・島の館に学芸員として勤務し現在に至る。研究分野は捕鯨史、かくれキリシタン信仰、対外交渉史、漁業、芸能など多岐にわたる。主な著作は『鯨取り絵物語』(共著、弦書房)、『かくれキリシタンの起源』(弦書房)、『日本捕鯨史概説』(古小烏社)など。

 

 

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Shigeo Nakazono

Author:

Shigeo Nakazono is a scholar and author engaged in the research of cultural assets and sociology, and curator of the Ikitsuki Island Museum (Shima no Yakata) in Hirado, Kyushu Prefecture since 1995. His research areas include the history of whaling, religion of Japan's hidden Christians (kakure kirishitans), history of foreign negotiations, fishing industries, and the performing arts. His major published works include Kujiratorie Monogatari, an explanation of historical drawing of whaling images (co-authored, Genshobo publishing, 2009), Kakure Kurishitan no Kigen, about the rise of the hidden Christians (Genshobo, 2018), and Nihon Hogeishi Gaisetsu, a whaling history (Kokobunsha publishers, 2019). Born in Fukuoka, he is a graduate of Kumamoto University Faculty of Literature (folklore).

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