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【3・11を想う】元駐日米国大使 ジョン・ルースさん 東北と続く交流、早く会いたい

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被災地支援「トモダチ作戦」準備 何年もかけ、ともに訓練した日米の結束示した

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東日本大震災発生時に駐日米大使を務めたジョン・ルース氏(66)は震災直後から、日本を支援する米国の活動を主導した。米軍による救援活動「トモダチ作戦」の準備を進め、被災地には十数回訪問。故郷の米西部カリフォルニア州に戻った現在も東北の人々との交流は続いている。

 

 

 

-震災発生時の様子は

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東京・赤坂の米国大使館からすぐに外の駐車場に避難した。自室で感じた揺れは信じられない激しさで、『このビルは崩壊するだろう』と考えたためだ。駐車場からオバマ大統領(当時)とクリントン国務長官(同)に即座に連絡を入れて状況を説明した。われわれは在留米国人の安全を非常に心配していたが、それと同時に危機に直面している日本人を支援していくことを確認した。

 

駐車場からもう1本電話を入れた相手は、在日米軍のバートン・フィールド司令官だ。津波の被害や原子力発電所の危機的状況が明らかになり、米軍を動員した支援活動に向けて、分刻みで調整することが必要と考えたためだ。駐車場で米軍との重要な調整が始まり、『トモダチ作戦』の展開につながった。

 

-トモダチ作戦は、兵員約2万4千人が参加した前例のない規模の災害支援・救助活動となった

 

作戦が成功したことを誇りに思っている。最初に(米軍と連携して復旧にあたった)自衛隊について言及したい。日本の平和を守ることだけでなく、人道的危機に直面した際の任務の重要性を示し、自衛隊の歴史において輝かしい瞬間となったと思う。

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トモダチ作戦は、何年もかけてともに訓練してきた日米間の同盟の強さを示す一例となった。日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安全を維持するため不可欠なものだが、作戦を通じて、人道的な観点から重要であることを証明した。

 

-被災地で感じたことは

 

震災から12日後に初めて被災地を訪れた。ヘリコプターに乗っているようだった。着陸して自分の足で被災地を回ってみて印象に強く残ったのは、悲劇的な出来事を乗り越えようとする東北の人々の強さや回復力だ。

 

私は被害の悲惨さを目の当たりにして少し体が震えていた。すると、宮城県石巻市の避難所では、10歳くらいの男の子が私のもとに駆け寄ってきて抱きしめてくれたことがあった。被災地では感動せずにはいられない場面がさまざまあった。

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-被災地との現在の交流は

 

(若者たちの留学などを支援する制度の)『TOMODACHIイニシアチブ』を始め、参加者との交流が続いている。新型コロナウイルス感染拡大の影響で昨年は日本に行くことができなかったので、できるだけ早く東北を訪れたい。私が今も、どれだけ東北の人々を尊敬しているか知ってもらいたい。

 

2月13日に福島県沖で地震が発生し、東北の人々を思うと心が沈んだが、10年という節目だけでなく、現在の問題として震災の記憶を蘇(よみがえ)らせてくれた。米国が今後も東北の人々に寄り添うことを願うばかりだ。

 

-日米関係について

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大使として日米の人々の深いつながりを経験したが、この関係を当然だと思ってはいけない。この4年間、米国ではリーダーシップの危機に直面した。日本の重要性を深く理解している新しいリーダーの下、危機は回避されるだろう。日米は世界をリードする二大民主主義国家。パンデミック(世界的大流行)や核拡散、気候変動など地球規模の課題に対応するため、さらに関係を強化して協力していくことが不可欠だ。

 

聞き手:上塚真由(産経新聞ニューヨーク支局)

 

 

【プロフィル】ジョン・ルース
1955年生まれ。米スタンフォード大学法科大学院で法務博士号を取得。米カリフォルニア州の大手法律事務所の最高経営責任者(CEO)などを歴任した後、オバマ政権時代の2009~13年に駐日米国大使を務めた。退任後の15年には同州でベンチャー・キャピタル(VC)を立ち上げ、シリコンバレーを中心とした米先端テクノロジー企業と日本企業を結びつける事業を行っている。

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