核恫喝に屈して「降伏」唱えるな
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「ウクラインのよるをしれりや。あはれ美しきかの夜をしらずば、はやくゆきても見給へかし」。大学生のころ上田敏訳ゴーゴリの『南露春宵』を声を立てて読んだ。
尊い自由を守る愛国心
そんなはるかなウクライナが、ロシアとは別の国、という認識はなかった。キーウの住民がかくも頑強にロシア軍に抵抗するとは思いもしなかった。世界がウクライナ人の奮闘に驚いている。自由を守ろうとする愛国心は尊い。ロシアの無理放題を通さずに、平和な決着を迎えることを祈りたい。
だが、連日テレビに映る破壊は悲惨だ。見るに堪えなくなった日本の識者が「どこかでウクライナが退(ひ)く以外に市民の死者が増えるのは止められない」「戦術核の利用もあり得る前提で、政治的妥協の局面」と論評した。
「早く平和を」と願う気持ちは私にもある。だが、「核戦争よりは降伏」と今の段階で言ってよいことか。そんな弱気は、核をちらつかせて恫喝(どうかつ)する国の思う壺(つぼ)だ。日本で「戦争よりは降伏を」の発言が続くとすれば、戦後の「平和」憲法下の教育のせいだろう。
もしそうなら、未来は暗い。日本列島は海に囲まれ地理的にも平和を保障されたが、今や核ミサイルを所有する中露の両大国や核兵器開発中の国に囲まれている。平和主義のお題目を唱える人に聴きたい。抵抗するウクライナの人々に「先に手を挙げて、戦争やめましょう」と勧告して、よいのか、と。
独裁者プーチン大統領が始めたロシア民族併吞作戦は世界の注視の的だ。同じく皇帝権力を握った中国の習近平国家主席も、漢民族併吞を唱える。北京は台湾作戦を念頭に、ウクライナの帰趨(きすう)を見据え、モスクワ市民の反戦気分も中国民衆の気分も気にしているはずだ。
王毅外相は日本語が読める。北京の外交部はわが国民の反応にも留意しているだろう。
だが習近平氏は、日本人を見くびっていはしまいか。二〇〇九年、小沢一郎幹事長(当時)は民主党訪中団を率いて北京詣でをした。中国首脳と握手して写真に納まった小沢チルドレンは「この写真があれば次の選挙に当選します」とはしゃいだ。
そんなわが国の「選良」を見て、外交トップの楊潔篪共産党政治局員以下、どう値踏みしたか。日本軽視がそんな様で、形成されたとしたら。そら恐ろしい。
ウクライナに降伏を促すのはよくない。闘う意志がある限り、自由主義陣営のためにも専制主義国家と戦っていただくほかはない。日本は島国という環境もあり、なんとなく安心感があって、特殊な平和主義がまかり通ってきたが、そんな感覚で国際的に通用するはずはない。
通用しない特殊な平和主義
ダンテは言う。「自由を求めて我は進む。そのために命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由を」
今や専守防衛は困難だ。ただウクライナでは陸上を侵攻する戦車集団をドローンで確認し破壊している。この先、海上を渡航して侵攻する船団は、ミサイルで次々と撃沈するほかはないだろう。
そんな海上有事の際を想定して、日本もミサイルを増強するなり、米国と核共有をするなり、議論はするべきだ。この国際情勢険悪化の時に、国会は、戦力不保持、交戦権否認の憲法のままでよいといつまで言うつもりか。
武力発動させぬ抑止力向上を
私が中学生のとき「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という戦争放棄の現行憲法ができた。美文だが、「台風を放棄する」と憲法に書けば台風は日本に来なくなりますか、という哲学者、田中美知太郎の発言の方がもっともだと思った。
始皇帝の再来ともいうべき毛沢東主席だった。党内闘争に勝利し、その毛の跡を継ぐ意志をあらわにした習近平氏は、ポスト・アメリカの世界大国としての中国の夢を語ることで、無知な人心を掌握(しょうあく)した。
そんな専制支配が国柄の中国は古代から変わらない、とテレビで識者は言うが、そうだろうか。
一九七六年、清明節に天安門広場の人民英雄紀念碑に、逝去した周恩来総理を悼んでささげられた花束に、こんな詩が添えられた。
「中国はすでに過去の中国にあらず。人民ももはや愚かならず。秦の始皇帝の封建社会はひとたび去りてまた還(かえ)らず、現代化実現の日、われら酒を捧(ささ)げていま一度君を祀(まつ)らん」
周恩来氏は現代化(日本語の近代化の意味)の国家目標を掲げた。改革開放後の中国は産業・国防・科学の面では目標に近づいた。だが一党支配下では、民主化の成功はありえない。近年の中国は逆走している。しかし、心ある人が言うように、長江や黄河を逆流させることはできない。
専制支配者はいずれ失脚し、変わる日も来るだろう。それまで中国に武力の発動をさせぬよう、わが国は抑止力を高めることが必要だ。
筆者:平川祐弘(東京大学名誉教授)
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2022年4月26日付産経新聞【正論】を転載しています
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