韓国新政権の歴史的決断
就任を前に新大統領府のイメージ図を示しながら説明する
韓国の尹錫悦氏=3月20日、ソウル(共同)
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韓国の首都ソウルは元は中国スタイルで城壁に囲まれた都市だった。南大門や東大門というのは市街地と城外を分ける境界になっていた。王宮は当然、城壁の内側の城内にあった。
近代的都市作りが進んだ日本統治時代(1910~45年)以降もこの基本構造は変わらず、日本人の総督官邸は旧王宮(景福宮)の背後に置かれた。日本統治から解放された後、これが韓国大統領官邸として使われるが、現在のような広大な敷地の宮殿風になったのは盧泰愚(ノ・テウ)政権時代(88~93年)以降だ。本館が青い屋根だったため通称「青瓦台」(ブルーハウス)と呼ばれた。
「青瓦台」は山裾の奥まったところにあって警備は厳重で一般の人は近寄り難かった。秘密めいていて米国のホワイトハウスのような開放感はまったくなかった。集中度の高い韓国の権力状況を象徴する感じだったが、その〝閉鎖性〟には68年の北朝鮮ゲリラ部隊による青瓦台襲撃未遂事件も影響している。「北の脅威」から大統領官邸を防護する意味もあった。
ところが今回、新しい尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領はその青瓦台には入らず、市中心部から離れた、昔でいえば城壁の外にあたる龍山区に位置する旧国防省の建物で執務を始めた。大統領官邸つまり権力の中枢を〝城外〟に移してしまったのだ。
政治的にいえば、これは中世の李朝時代から現代にいたるソウルの伝統的な権力(政治)風景の一大変化である。新大統領は歴史的決断をしたことになる。
この決断は権威主義的な政治を否定し「国民との壁を無くして国民との意思疎通をよくする」という新大統領の公約からきているが、これに対し退任した文在寅(ムン・ジェイン)前大統領や旧与党勢力は歯ぎしり(?)しながら「一方的で拙速な決断はケシカラン!」と非難している。〝青瓦台脱出〟は本来、彼らの公約だったのに自分たちは実行できなかったからだ。
大統領官邸ではなくなった広大な青瓦台は直ちに市民に開放され、あらたな観光スポットとして連日、見物客が詰めかけている。
新しい〝大統領官邸〟となった旧国防省ビルは、2階と5階が大統領執務室で1階には記者室が入った。これで記者たちは常時、大統領の出入りを目撃できるし、大統領に声をかけられるようになった。これも初めてのことである。日本人記者の目には、この風景はどこか日本の首相官邸での記者たちとの様子が参考にされたようにみえる。
ところで権力の中枢が移ってきた龍山区には、これまで在韓米軍司令部があったがすでに移転しており、その跡地には旧〝城内〟にある米国大使館が引っ越してくることになっている。
一方、現在、米大使館近くにある日本大使館は慰安婦像などによる〝反日嫌がらせ〟もあって建て直し工事が長期間、中断したままだ。
そこで在韓日本人の間では〝新大統領官邸〟の誕生を機に、いっそのこと日本大使館も旧〝城内〟を出て龍山区に移ってはどうかとの声が聞かれる。
尹政権はスタートに際し大きな歴史的決断をした。この〝青瓦台脱出〟が最後で最大の決断だったなどといわれないよう、今後とも日韓関係正常化を含めさらなる決断力を期待したいものだ。
筆者:黒田勝弘(ソウル駐在 産経新聞客員論説委員)
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2022年5月20日付産経新聞【緯度経度】を転載しています
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