fbpx
Connect with us

【主張】国枝氏に栄誉賞 個性を認め合える社会に

Published

on

Shingo Kunieda
岸田文雄首相から国民栄誉賞の盾を受け取る国枝慎吾さん(左) =3月17日午後、首相官邸(矢島康弘撮影)

~~

 

車いすテニスの第一人者として長く活躍した国枝慎吾さんに、国民栄誉賞が授与された。パラスポーツ界では初めての受賞である。

 

四大大会での優勝は、シングルスが28度、ダブルスを合わせれば50度を数える。パラリンピックでは計4個の金メダルを手にした。

 

「俺は最強だ」と自身を奮い立たせ、一昨年の東京パラリンピックを制した際の男泣きは、いまも忘れ難い。

 

Advertisement

記録と記憶に残る国民的英雄の受賞を、心から祝福したい。

 

Shingo Kunieda

車いすの部男子シングルスで初優勝し、笑顔でトロフィーを掲げる国枝慎吾=ウィンブルドン(共同)

 

9歳のとき脊髄腫瘍が原因で車いす生活となり、小学6年でテニスを始めた国枝さんは、「車いすでテニスをやって偉いね」という周囲からの言葉に強い違和感を抱いてきた。

 

「目が悪ければ眼鏡をかける。僕は足が悪いから車いすでスポーツをする。特別なことではない、とずっと思っていた」

 

2月の引退会見で、こう語ったのが印象深い。

 

Advertisement

現役時代、プレーを通して「人間の無限の可能性を感じてほしい」と語る一方で、車いすテニスを「スポーツとして見てほしい」とも願っていた。

 

2004年アテネ・パラリンピックのダブルスで頂点に立ったとき、快挙を報じた新聞の多くは、スポーツ面よりも社会面で大きく取り上げた。当時は「まだスポーツとして扱われず、福祉として社会的な意義があるものとして伝わっていた」と国枝さんはいう。

 

Shingo Kunieda

東京パラリンピックの車いすテニス男子シングルス決勝でプレーする国枝慎吾=2021年9月、東京・有明テニスの森公園(ロイター)

 

孤高の歩みは、車いすテニスを「スポーツ」として認めさせるための闘いでもあった。

 

進退自在のチェアワークとバックハンドからの強い打球は、他の競技者に求められる技術の水準を一気に引き上げ、車いすテニスは「スポーツ」としてファンの批評を受けるようにもなった。09年には異例のプロ転向を果たし、パラアスリートの社会的な地位を向上させたことも大きな功績である。その背中は後進の夢であり、希望となったに違いない。

 

Advertisement

「多様性」という言葉が日常的に人々の口にのぼる。障害の有無にかかわりなく、一人一人が互いの個性を認め合い、「無限の可能性」を引き出す。そんな世の中になれば理想的だ。

 

国枝さんが闘い続けてきたものにも思いをはせ、社会のあり方を考える機会としたい。

 

Shingo Kunieda

国民栄誉賞授与の晴れの舞台に妻の愛さん(左)と母の珠乃さん(右)が駆けつけた(矢島康弘撮影)

 

 

2023年3月18日付産経新聞【主張】を転載しています

 

Advertisement

この記事の英文記事を読む

 

 

Continue Reading
Click to comment

You must be logged in to post a comment Login

Leave a Reply