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流れる滝のスケールに圧倒 米子大瀑布 長野・須坂

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左から権現滝、不動滝。その右に雨後に現れる黒滝も見える=6月、長野県須坂市の米子鉱山跡地から(原田成樹撮影)

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落差約100メートル、幅約1キロに広がる岩壁を数条の滝が流れ落ちる米子大瀑布(よなこだいばくふ)(長野県須坂市)は、まずそのスケールに圧倒される。標高約1400メートルにあるが、登山口からは約30分と手軽で、長野市など北信地方を訪れた際には足を延ばしたい。修験者、木喰(もくじき)上人の但唱(たんしょう)があがめた聖地であり、戦前には約1500人が暮らす鉱山でもあった。歴史・文化の好奇心も満たされる。

 

 

幻の黒滝も

 

単独でも国内有数の落差だが、鉱山跡地でもある展望台からは根子岳(ねこだけ)を源流とする不動滝(落差89メートル)と日本百名山の四阿山(あずまやさん)を源流とする権現滝(同82メートル)の2条が同時に望める。雨後には不動滝の右手に黒滝が現れることもある。

 

須坂市は、戦前から火薬原料の硫黄産地として栄え、下界から隔離された天空の街には小学校の分教場やテニスコートまでもあった。ここで電気技師として働いた上野揆一さん(89)によると、市街地まで運搬用のロープウエーがあり、「朝注文したものが夕方には売店に届いていた」。建造物は撤去されているが、転がっている硫黄鉱石や看板などの写真で往時をしのべる。

 

2条の滝に対する信仰は、管理する米子瀧山不動寺(須坂市)によると、白山信仰の開祖、泰澄(たいちょう)の弟子である浄定(きよさだ)が養老2(718)年に四阿山に登って以来だという。修験者は山を登る前に滝で身を清めるなどし、江戸時代には滝壺付近に同寺の奥之院を含め33の庵があった。

 

落差89メートルの不動滝=長野県須坂市(原田成樹撮影)

 

「真田丸」にも登場

 

米子大瀑布が全国的に知られるようになったのは平成28年。大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に登場し、周辺の滝も含めた「米子瀑布群」が国の名勝に指定された。ところが、令和元年の台風19号によって林道が崩落。地滑りの調査などで、3年半たった今年5月下旬にようやく再開した。

 

再開に合わせ、登山道はネパールのシェルパ族らの手で整備され、登山口となる駐車場のトイレはリニューアル、登山道上にあって水害で傾いた橋も趣のあるつり橋に架け替えられた。

 

 

木喰上人が修行

 

時間と体力、宗教や歴史への関心がある人は、展望台から片道1時間ほどの信仰遺跡「奇妙山石仏群」への寄り道がお薦めだ。五穀などを絶ち、仏像を彫り続けた「木喰上人」の但唱(1579~1641年)が1611年頃に12年ほどこもっており、数多くの石仏が残る。ここから、2条の滝が正面に見え、400年の時を超えて上人と思いを重ねられる。

 

木喰上人の但唱が彫った像が数多く残る奇妙山石仏群=長野県須坂市(原田成樹撮影)

 

長野県の歴史・文化に詳しい宮下健司さん(71)によると、「木喰の開祖は弾誓(たんぜい)(1552~1613)だが、弟子の但唱によって弾誓派は栄えた。この奇妙山石仏群が、事実上の弾誓派の原点と言ってもよい」と話す。厳しい修行を積んだ但唱は、後に長野県松川町で巨大な仏像を彫り上げ、東京・高輪まで運ばれて如来寺を開基した。

 

木喰上人の但唱が彫った像が数多く残る奇妙山石仏群=長野県須坂市(原田成樹撮影)

 

米子大瀑布では、今秋、不動滝の下でクラウドファンディングを活用して古い山小屋を改装した「根子岳山荘」がカフェ営業を始める予定。米子大瀑布は、冬季氷瀑ツアーの計画も進められるなど、何度来ても楽しめる場所へとまだまだ進化中だ。

 

筆者:原田成樹(産経新聞)

 

 

【アクセス】 米子大瀑布駐車場(登山口)上信越道・須坂長野東インターチェンジ(IC)から約40分、長野電鉄須坂駅から車で約40分。途中の林道は冬季(11月中旬~4月末頃)閉鎖。紅葉期の土日・祝日はマイカー規制となり、麓の温泉施設「湯っ蔵んど」から有料シャトルバスが運行する。信州須坂観光協会(026-215-2225)。

 

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