西岡力氏インタビュー(下):慰安婦問題と拉致問題への取り組み
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慰安婦問題と拉致問題は、過去30年間、日本の政治家と外交官を悩ませ続けた。しかし、日本以外ではほとんど知られていないが、これら外交争いの解決を初めて追求したのは西岡力氏だった。
現在、麗澤大学教授の西岡氏は、1991年に論文を通じて慰安婦と拉致問題に対する一般社会での認識を高めた。当時の主流メディアや学会では西岡氏の主張はほとんど無視されいた。だか、氏は粘り強く、一種の義務感を持って研究に励み続けてきた。
もちろん、その道のりに壁がなかったわけではない。時には脅迫や抑圧をされ、在籍していた前の大学からは辞職まで追い込まれた。西岡氏の長年にわたる最前線での経験は、まさに現代版ダビデとゴリアテの物語を彷彿とさせる。
つい最近、西岡氏の新著で楽観的な一節を読み希望を感じた。長い間日本を悩ませてきた二つの外交問題に肯定的な進展が見られつつあとの話だった。すぐに西岡氏の意見を聞くため直撃取材を行った。
インタビュー後半の主なやり取りは以下の通り。
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――日韓両国が共有するもう一つの問題は拉致問題である。安倍内閣以降、拉致問題に最大の進展が起こりうると聞いた
岸田首相は2023年5月27日、私たち「救う会」などが主催した国民大集会で「首脳会談を早期に実現すべく、私管轄のハイレベルで協議を行っていきたい」と述べた。すると、わずか2日後の29日、北朝鮮外務省のパク・サンギル次官は談話を発表し、「朝日両国が互いに会えない理由はない」と答えた。
この言葉にも驚いたが、反応があまりにも速かったことにより強い印象を受けた。27日は土曜日だった。午後2時半頃に岸田首相が国民大集会で挨拶した。そうしたら月曜日の29日朝に談話が出た。土曜日の国民大集会に誰かが来ていて、テープ起こしをして平壌に送り、談話の案を金正恩委員長に見せて決裁を受け、そして月曜日に出したのだ。
北朝鮮も基本的には日曜日は休みだ。北朝鮮では金正恩委員長の決裁がなければすべてのことが進まない。唯一指導体制と言って、最高指導者だけが決定権を持つ。それ以外の幹部は最高指導者が決めたことを実行するという政治システムになっているから、決裁を貰いたい人たちが列をなす。そういう中で横から入って週末の休みに決裁を受けた。それは、金正恩委員長が、「岸田総理が何か言うはずだから俺に報告しろ」と事前に言っていなければ起きないことだ。そういう何らかのコミュニケーションがあの時点で取れていたのだと思う。
同集会で岸田首相は、拉致問題は時間的制約がある人権問題だと明言した。その意味は、北朝鮮の核やミサイルなどから切り離して拉致を解決していくということであり、日本にとっても一番の人道問題である拉致被害者の帰還が実現したら、日本政府も北朝鮮への人道支援を行えるというメッセージでもあった。人道問題は国連制裁違反ではないため、もし北朝鮮が被害者を全員帰還をすれば日本からの人道支援も可能である。
私たち「家族会」「救う会」は今年の5月に訪米して米国務省の副長官と会い、我々の方針を伝えたところ、米国側もその内容に反対しなかった。北朝鮮は90年代後半300万以上が餓死した大飢饉以来、過去最悪の食糧難に直面している。また、米トランプ政権以降アメリカとの交渉も進展がない今、交渉テーブルに出ない理由はない。そう言う意味で、小泉訪朝以来、拉致被害者を取り戻す最大のチャンスを迎えていると言えるのではないか。
――ソウルで第二回慰安婦シンポジウムが開かれた。韓国では慰安婦問題に対する認識が変化しつつあると聞いた
9月5日、慰安婦強制連行説と性奴隷説を否定する日韓両国の学者、活動家らが集まり、ソウルで合同シンポジウムを開催した。 韓国のプレスセンターに約100人が集まり、日米韓の来賓も多数参加した(米国側ではラムザイヤー教授が映像メッセージを伝達)。このような日韓合同シンポジウムがソウルで開かれるのは初めてで、非常に歴史的なことだ。 さらに開会式では君が代の斉唱があり、聴衆の中には大声で日本国歌を歌う人もいた。
日本では30年間、真実勢力が戦いを続けている。済州島で奴隷狩りのような強制連行があったとする吉田清治証言について、朝日新聞はウソだと認め、過去の記事を取り消すところまで至った。韓国でも2019年頃から、慰安婦像のそばで「慰安婦は売春婦」「慰安婦像撤去」を叫ぶ韓国の真実勢力が反撃を開始した。そしてついに昨年と今年、東京とソウルで日韓の真実勢力が合同シンポジウムを開催することができたのだ。
私は過去に拉致問題や北朝鮮情勢などをテーマにした韓国での国際会議でなんども発表を行った経験がある。ときには、そのような発表さえ韓国内左派の妨害を受けた。しかし、これまで歴史問題を主題に韓国で発表を行ったことはなかった。韓国の左派メディアが私のことを「日本を代表する極右」や「歴史修正主義者」などとよく批判してきた過去を考えると、西岡がソウルのど真ん中で慰安婦関連の発表を行ったことは韓国の国民認識が大きく変わったからだと思う。
また、尹錫悦政権に入って、韓国で日韓の歴史問題について私の持論を聞きたいという保守派が増えていた。前政権では考えられないことだった。文政権下の21年8月15日に韓国の地上波テレビ局MBCが放送した「PD手帳」という番組では、私と私が所属している国家基本問題研究所の櫻井よしこ理事長を、韓国国情院と不当な関係を持つ日本の右翼とまで紹介した。
――西岡教授は慰安婦問題、拉致問題の第一人者として知られている。慰安婦問題については学者として初めて強制連行説を否定し、金学順証言の矛盾点などを指摘した。拉致問題に関しても学者として初めて公で問題提起を行った
拉致問題に関しては、1991年に学者としては初めて論文を書いた。ちょうど90年の9月に自民党の金丸信元副総理と社会党の田辺誠副委員長が訪朝し、金日成主席と会談し、日朝国交正常化に向けた交渉を始めることで合意した。しかしその時、拉致問題の言及は一切なかった。日本のマスコミはもちろん外務省も賛成側に立っていた。私が率いていた「現代コリア研究所」の関係者以外、拉致問題を真剣に懸念していた専門家はいなかった。拉致が棚上げのまま日朝国交正常化が進むことを恐れ、当時文藝春秋社が出していた保守オピニオン雑誌「諸君!」に論文を寄稿したのだ。
慰安婦問題に取り掛かったのもほぼ同時期だ。1991年に朝日新聞が慰安婦問題に関して捏造記事を連発しながら大キャンペーンを行い、翌年に宮沢喜一首相が訪韓し盧泰愚大統領に8回も謝罪をした。どうも辻褄が合わない話が出回っていたので、私も本格的な調査に乗り出した。そして、前年、私の拉致問題論文を載せてくれた時の「諸君!」の編集長だった白川氏が、そのときは『文藝春秋』の編集長を務めていたので、同誌に「慰安婦問題とは何だったのか?」という拙稿を寄稿した。
私の主張は保守派の一部を除いてほぼ無視された。慰安婦問題は女性の性に関する問題なので元慰安婦と支援者を批判するにはかなりの勇気が必要だった。その頃日本のインテリのほとんどは隠れ社会主義者で、朝鮮総連の力もかなり強かった。朝鮮総連は言論への暴力的抗議をたびたび行っていた。だから、名指しで北朝鮮や朝鮮総連を批判することになる拉致問題について言論活動をすることも、 やはり勇気が必要だった。拉致についての論文を書いた後、身の危険はないかと複数の公安関係者に言われたし、脅迫状を受けたこともあった。
――ある側面では日本の歴史の流れを変えたと思うが、このような評価についてはどう思うか
私の慰安婦論文がきっかけとなり秦郁彦先生が慰安婦研究を始めた。秦先生は、92年に行った済州島での現地調査をもとに吉田証言の嘘を暴く論文を書いた。99年には「慰安婦と戦場の性」を出版され、昨年には韓国でも翻訳出版された。
私は2020年3月、「植村捏造記事」の裁判で完全勝訴した経歴も持つ。私は1991年度から繰り返し雑誌や単行本を通じて、朝日新聞や植村隆氏の慰安婦関連記事が捏造であることを唱えた。植村氏は私の以下の3つの主張が名誉毀損に該当すると主張した。
1)「控訴人(植村)は、金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行という前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事に記載しなかった」
2)「控訴人(植村)が、意図的に事実と異なる記事を書いたのは、権力による強制連行という前提を維持し、遺族会の幹部である義母の裁判を有利なものにするためであった」
3)「控訴人(植村)が、金学順が「女子挺身隊」の名で戦場に強制連行され、日本人相手に売春行為を強いられたとする事実と異なる記事をあえて書いた」
しかし最高裁で、1と2は真実相当性が、3は真実性が認められた。言い換えると、植村氏の記事は事実上捏造という結論を裁判所が下したのだ。
私の出版物や同裁判がきっかとなり、朝日新聞社が問題となった自社の慰安婦関連記事を検証し始めた。そして2014年8月、朝日新聞は吉田証言を虚偽と認定し関連記事を撤回した。同年9月には謝罪会見まで行った。
私が書いた慰安婦や拉致問題の論文は、その後に日本内で評価され「正論大賞」もいただいた。韓国では慰安婦と徴用工問題に関する拙著2冊が翻訳出版されるにも至った。歴史の流れを変えたどうかは分からないが、日韓歴史問題の解決に一定部分寄与したとは思う。
――日韓で蔓延している「反日・反韓」史観を打破するため、今後どのような努力が必要か
日韓の保守陣営はこれまで、左派勢力に比べ、民族感情などを理由になかなか協力することが出来なかった。今後は日韓の真実勢力が手を合わせ、日本、韓国、そして北朝鮮の嘘つき勢力の陰謀と工作を暴露し、彼らの責任を追及する必要がある。
筆者:吉田賢司(ジャーナリスト)
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