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「国境の島」対馬がめざす脱・韓国依存 元寇アニメ・ゲーム化で観光に追い風

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唐・新羅軍の襲来に備えて築かれた金田城の石塁=長崎県対馬市(産経新聞)

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長崎県対馬市が今年、全国的な注目を集めた。原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場の建設を巡り、市長が文献調査を受け入れないと表明したからだ。一方で、朝鮮半島を目前に望む「国境の島」である対馬は、日本の国際関係史を物語る史跡を多く残す土地としても、注目に値する。現地を訪ねると、歴史の中で対馬が担ってきた役割を国内の多くの人に再認識してもらい、島に活気を生み出すきっかけにするための模索が始まっていた。

 

 

豊かな歴史遺産

 

対馬の西岸、静かに波が打ち寄せる小茂田(こもだ)浜(佐須浦)は、海峡をはさんで朝鮮半島まで100キロもない。749年前の文永11(1274)年10月5日、ここに大陸から元の大軍が押し寄せ、元寇(文永の役)が始まった。

 

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対馬国守護代の宗助国(そうすけくに)(資国)が率いる80余騎が迎え撃ち、壮烈な最期を遂げたと伝わるが、元軍は対馬の住民を殺戮、拉致し、壱岐、九州に押し寄せた。

 

「元という世界の大帝国を相手に戦った宗助国は、楠木正成にも劣らぬ英雄です」。そう語るのは会社役員の武末裕雄(やすお)さん(79)。地元住民らと令和2年8月、助国の騎馬像を小茂田浜近くの神社に建立した。

 

 

武末さんはほかにも、明治38年5月に対馬の東方沖で戦われた日露戦争の日本海海戦を顕彰するなど、対馬の歴史を現在によみがえらせる取り組みを精力的に進めている。

 

古事記の国生み神話にも登場する対馬は、日本人にとって古くから大事な島だった。古代には日本軍が唐・新羅連合軍に敗れた白村江(はくすきのえ)の戦いを受け、667年に朝鮮式山城の金田城(かねだじょう)が築かれ、防人(さきもり)が置かれた。

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「日本を守ってきた対馬の歴史を多くの人に知ってほしい」と武末さんは力を込める。

 

海峡封鎖の防衛拠点としてつくられた対馬最北部の巨大な砲台の跡=長崎県対馬市(産経新聞)

 

対馬の歴史は戦争だけではない。江戸時代には対馬藩による李氏朝鮮との外交・貿易の拠点ともなった。中心部の厳原(いづはら)地区では毎年7月に地蔵盆が行われるが、「貿易に携わった大阪や京都の商人が伝えた」ともいわれる。

 

市内で明治の作家、半井桃水(なからいとうすい)の生家跡に建つ交流施設を運営するNPO法人の鍵本妙子さん(63)は「江戸時代の海外への窓口としては長崎が有名だが、対馬も外に開かれていた。そのことは地元でもあまり認識されてこなかった」と話す。

 

 

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「日本の始まりに出会う、源の島。」

 

戦後は対馬が注目される機会が減り、国際色豊かな歴史も忘れられがちになった。人口流出が加速し、市の人口は、昭和35年の約7万人から平成27年には約3万人まで減少した。

 

比田勝尚喜(ひたかつなおき)市長は地域振興策の一つとして観光を掲げる。ただし、これまでの対馬の観光産業は韓国人に依存してきた。30年に対馬を訪れた観光客約54万人のうち約41万人は韓国人が占めた(厳原港、比田勝港から入った来島者数)。

 

ところが令和元年7月に日本政府が韓国への半導体輸出規制を強化すると、韓国人観光客は急減。新型コロナウイルスの影響が加わり、3年には韓国人観光客はほとんど姿を消した。

 

水際対策の緩和などを受け、韓国・釜山と結ぶ船の国際航路が今年2月に一部再開。日韓関係の改善もあり、韓国人客は戻りつつある。しかし、市は韓国人依存からの脱却と国内客重視への転換を目指している。

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文永の役で元軍が来襲した小茂田浜=長崎県対馬市

 

4年3月に策定した市観光振興推進計画は「国内客・個人客に対応したサービスを提供できていない」と分析。「日本の始まりに出会う、源(みなもと)の島。」をコンセプトに、自然や食、歴史遺産を一体化したコンテンツとして発信する戦略を描く。

 

対馬観光物産協会の担当者によると、最近はリアス式海岸の特徴的な自然を求める観光客が増え、夏場のシーカヤックは予約が取りにくいほどだという。

 

「沖縄のようなリゾート開発を進めるのではなく、対馬にしかない素材をつないで魅力を発信する。ありのままの対馬を好きになってほしい」

 

 

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「ゴースト・オブ・ツシマ」世界的ヒット

 

そうした中で、さらに明るい話題をもたらしているのが、元寇での対馬を舞台に、武将の活躍を題材にした漫画・アニメ、ゲームソフトの人気だ。

 

たかぎ七彦(ななひこ)さんが平成25~30年に漫画雑誌などに連載した「アンゴルモア 元寇合戦記」はアニメ化が実現。令和2年7月発売の家庭用ゲーム機「プレイステーション4」向けゲームソフト「ゴースト・オブ・ツシマ」は、世界的なヒットとなった。背景には対馬の名所も多く描かれ、若い観光客を誘致するきっかけになると期待されている。

 

国境などの「ボーダーツーリズム」に詳しい北海道大の岩下明裕教授は「対馬は南から北まで巡るには2~3泊が必要。長く滞在するにはホテルや(鉄道がないため)公共交通機関が不足し、気軽な感覚での旅行ではカバーできないという難点がある」と指摘する。

 

それでも対馬にはほかの観光地には代えられない魅力があるという。

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「神話の里や歴史的遺産をもつ地域は国内でほかにもあるが、対馬のように日本人が国境を目視できる土地は少ない。いまなお(韓国との交流により)外に開かれ、歴史と現在が結び付いている。日本人が対外意識を涵養(かんよう)できる数少ない場所だ。海外へのゲートウエーとともに砦(とりで)でもある地域の現状と、人々の営みを知ってもらう意義は大きい」

 

朝鮮半島をはじめ東アジアでは、現在も軍事的緊張が高まっている。そうしたリアルな現実を踏まえながら歴史をたどる「生きた観光」の魅力を、ハード・ソフト両面の整備を進めることで、いかに提供できるかが問われている。

 

筆者:牛島要平(産経新聞)

 

 

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