fbpx
Connect with us
Advertisement

【主張】阪神大震災29年 能登の支援に教訓生かせ

Published

on

阪神大震災29年:「1・17のつどい」が営まれる東遊園地には、「1995 ともに 1.17」の文字が浮かび上がり、地震発生時刻の5時46分に黙とうが捧げられた=1月17日午前、神戸市中央区(土井繁孝撮影)

~~

 

6千人余が犠牲となった阪神大震災から29年となった。

 

29年前、神戸の街は炎に包まれ、約63万棟の住宅が被害を受けた。高速道路は崩れ、都市インフラは崩壊した。だが、人々は力を合わせてがれきと化した街を復興した。

 

この震災の経験を生かし、能登半島地震の被災地にはさまざまな支援の手がさし伸べられようとしている。一方で受け入れ態勢が整わず、必要な支援が届いていないところもある。

 

Advertisement

阪神大震災の追悼会場で、紙灯籠を並べる人たち=1月16日午後、神戸市中央区の東遊園地(共同)

 

被災自治体が担いきれない業務のサポートを調整するのは国の役割だ。阪神をはじめとする過去の災害の教訓を生かし、全力で取り組んでほしい。

 

岸田文雄首相は1月4日、能登半島地震の発生を受け、中央省庁の幹部級職員を石川県庁に派遣すると発表した。「『ミニ霞が関』を県庁に作る。東京としっかり連絡させて現地のニーズを把握する」と語った。

 

阪神大震災当時、被災した兵庫県や神戸市は全国からの派遣職員の配置どころか、支援要請にも手が回らなかった。

 

浮かび上がった「1995 ともに 1.17」の文字。能登半島地震の被災者への思いも込められている=1月17日午後、神戸市中央区(竹川禎一郎撮影)

 

この教訓を踏まえて、国は被災自治体にパートナーとなる支援自治体を割り当て、ニーズに応じた支援を行う仕組みを制度化した。

 

Advertisement

能登半島地震では三重県が調整を担い、派遣の割り当てなどを主導した。

 

道路が寸断されるなど、支援の職員を容易に派遣できないところもある。マンパワーは不足しているが、被災地では一般からのボランティアの受け入れはまだ進んでいない。

 

現地の職員だけでは対応できないスキルや経験を持つ人を被災地と被災地外の双方でどう活用するかが大切だ。

 

追悼式典で献花し、手を合わせる児童ら =1月17日午前、兵庫県芦屋市の精道小学校(甘利慈撮影)

 

阪神大震災では、1年で延べ約137万人がボランティアとして活動した。物理的な支援だけでなく、被災者の心のケアを含むきめ細かな救援活動は復興が進んだ後も続けられ、人々を長く支えた。

 

Advertisement

17日、、神戸市で営まれた阪神大震災の犠牲者追悼行事「1・17のつどい」では、紙灯籠で「ともに」の文字が作られた。能登半島地震の被災者へ「ともに助け合い、語り継ごう」との思いを込めたという。

 

私たちは立て直し、立ち上がることができる。これも阪神の教訓の一つだ。ともに助け合いながら語り継いでいきたい。

 

 

2024年1月17日付産経新聞【主張】を転載しています

 

Advertisement

この記事の英文記事を読む

 

 

Continue Reading
Click to comment

You must be logged in to post a comment Login

Leave a Reply

Our Partners