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戦国時代に寺宝が散逸した京都山科「安祥寺」 120年間不在の国宝・五智如来を庭に再現

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五智如来をイメージした庭「五智遍明庭」について説明する藤田瞬央住職=5月2日、京都市山科区の安祥寺(田中幸美撮影)

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平安時代に創建され、琵琶湖疏水(山科疏水)のそばにたたずむ安祥寺(京都市山科区)が新たに庭を整備し、5月18日から期間限定で公開を始めた。安祥寺は長い間非公開だったが、所有する「木造五智(ごち)如来坐像」が令和元年に国宝に指定されたのを機に、拝観者の受け入れを前提に準備を進め、その集大成として庭を整備した。五智如来をイメージして「五智遍明庭(へんみょうてい)」と名付けられた庭には、この世のあらゆるものに光を与えるとの願いが込められている。

 

木造五智如来像(安祥寺のHPより)

 

コケに白砂、5つの石

 

五智如来は大日如来を中心に阿閦(あしゅく)、宝生(ほうしょう)、阿弥陀、不空成就(ふくうじょうじゅ)の各如来を四方に配置し、それぞれ5つの智の徳をつかさどるとされる。安祥寺の木造五智如来坐像は851年から854年ごろの寺の創建時に造られ、5つの像が揃って伝わる最古の五智如来像。令和元年、重要文化財から国宝に格上げ指定された。

 

安置されていた多宝塔は明治39年に焼失したが、すでに京都国立博物館(京都市東山区)に寄託されており、難を逃れた。ただ約120年間もの間、寺には存在しない状態が続いている。

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像の不在を気にかけていた藤田瞬央(しゅんおう)住職(68)は昨春から、五智如来を庭に再現しようと整備を始めた。庭は当初、松と紅しだれ桜などが植えられているだけで、手入れもほとんどされていない状態だった。だがそこにコケを配して白砂を敷き、中央には五智如来をイメージした5つの石を配置することで、明るく輝く庭に生まれ変わった。

 

五智如来を表現した石が置かれた「五智遍明庭」=5月2日、京都市山科区の安祥寺(田中幸美撮影)

 

文化財公開する「開かれた寺」へ

 

安祥寺は嘉祥元(848)年、真言宗の僧、恵運(えうん)が仁明天皇の女御(にょうご)、藤原順子(のぶこ)の発願で天智天皇陵近くの山上とふもとの2カ所に開き、山科一帯に広大な寺領を有していたと伝わる。ただ戦国時代には寺宝の多くが散逸して荒廃。その後、長きにわたって参拝者を受けいれていなかった。

 

しかし平成30年に就任した藤田住職は、「開かれた寺」を目指した。奈良時代作の十一面観音菩薩立像(重要文化財)や鎌倉時代後期の作とされる地蔵菩薩像などの貴重な文化遺産を後世に残すとともに、参拝者に公開すると決めた。趣旨に賛同する企業からの支援を受けることもできた。

 

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新型コロナウイルス禍にも直面したが、本尊を安置する観音堂(本堂)や寺発祥の原点とされる青龍殿など、境内の修理を順次進めた。その集大成として庭を完成させた藤田住職は「あまねく世を照らす五智如来の庭を、多くのみなさんに見ていただきたい。復興とまではいかなくても、本来の寺の形に戻していきたい」と力を込めた。さらに多宝塔を再建し、往時のように五智如来坐像をまつる道筋をつけたいという。

 

雌雄の龍をコケで表現した青龍権現社=5月2日、京都市山科区の安祥寺(田中幸美撮影)

 

一般拝観は5月18、19日、6月8、9、16、17日の午前9時~午後5時(受付は午後4時半まで)。拝観料500円。9月以降にも不定期の拝観日の設定を検討している。

 

筆者:田中幸美(産経新聞)

 

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