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「クジラの町」が整備した国際鯨類施設の全貌 消費拡大へ栄養分析、無人機で群れ探知も

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日本鯨類研究所太地事務所が入る国際鯨類施設=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

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1600年代から始まった古式捕鯨が発祥したとされ、「クジラの町」として知られる和歌山県太地町で、町が整備した研究拠点「国際鯨類施設」が完成した。施設内に誘致した一般財団法人「日本鯨類研究所」(東京)の太地事務所も4月に開所し、鯨類資源の適正管理につながる調査や研究が同施設を中心に進められる。同町は、国内外から多くのクジラ研究者らが集まり調査研究を行う「学術研究都市」を目指しており、施設を拠点に町を盛り上げたいとしている。

 

 

広大な敷地にクジラのような建物

 

エントランスに置かれたミンククジラの模型=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

 

エントランスには、実物のヒゲを使ったミンククジラの模型を設置。外から建物の柱がクジラのヒゲのように見えることから、「建物全体がクジラみたい」という人もいる。国際鯨類施設は同町南部の高台の約2万3840平方メートルの敷地にあり、鉄骨一部2階建て延べ約1880平方メートル。事業費約18億円をかけて町が整備した。

 

90席を備える研修ホール=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

3万冊の資料を所蔵する図書館=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

 

中心となるのは、調査捕鯨などを行っている日本鯨類研究所の太地事務所だ。宮城県石巻市の同研究所鮎川実験場が平成23年の東日本大震災で被災した際、所蔵していた骨格標本などの保管を太地町が引き受けた経緯もあり、今回の誘致が実現した。

 

国際鯨類施設には日本鯨類研究所太地事務所の事務室、研究室などを備え、調査研究員8人を含む計11人が常駐している。また、90席の研修ホールや会議室も。事前予約すれば誰でも利用可能な図書室には、クジラ関係の書籍や国際捕鯨委員会(IWC)の資料など約3万点が所蔵された。

 

 

町内の湾でクジラの飼育や繁殖

 

約400年前に古式捕鯨が発祥した地とされる太地町では、現在もイルカなど小型鯨類の追い込み漁が行われている。時代とともに変化はしたが、人々はクジラと関わりながら生活を営んできた。

 

昭和44年、捕鯨だけでなく観光や教育に生かす施設として、町立くじらの博物館が設立された。平成18年には、同町の森浦湾に鯨類の飼育や繁殖、ふれあい体験などを行うエリアを整備する「森浦湾くじらの海構想」を発表。クジラに特化した学術研究都市を目指す方針を示した。

 

日本鯨類研究所太地事務所が入る国際鯨類施設=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

 

20年近い年月を経ての国際鯨類施設の完成について、町総務課の和田正希さんは「町が掲げる目標に向けても重要な施設。日本鯨類研究所を誘致できたことによるさまざまな相乗効果を図っていきたい」と期待を込める。

 

町が熱い思いで誘致した日本鯨類研究所は、昭和62(1987)年に設立された。商業捕鯨モラトリアム(一時停止)がその5年前の1982年にIWCで採択(発効は86年)されており、同研究所は南極海などでの調査捕鯨による資源調査などを長く担った。日本は令和元年にIWCを脱退し商業捕鯨を再開させたが、同研究所は資源調査を継続して行っている。

 

 

鯨肉の消費拡大にも貢献

 

太地事務所の開設で、日本鯨類研究所は東京事務所との2拠点に。太地事務所では、クジラのDNAを解析して系統分類を行ったり、クジラの内臓を分析し、健康状態や食べているもの、汚染物質の有無を調べたりする。

 

日本鯨類研究所太地事務所の研究室=和歌山県太地町(小泉一敏撮影)

 

また、太地町で行われているイルカなど小型鯨類の追い込み漁について、専門知識を生かして下支えする方針。近年では日本であまり食べられなくなった鯨肉の消費拡大につながるよう、鯨肉の栄養分析を進めるほか、同研究所が開発したUAV(無人航空機)を使ってクジラの群れを探すことなども検討しているという。

 

日本鯨類研究所の研究主幹、安永玄太さんは「環境が整った研究施設を借りることができて感謝している」。国際鯨類施設にはすでに国内外から研究者が訪れているといい、「太地を訪れたいと考えるクジラの研究者は世界に多い。国際鯨類施設が研究者たちの目指す場所になれば」と話した。

 

筆者:小泉一敏(産経新聞)

 

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