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特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を

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日本軍のフィリピン・マバラカット西飛行場跡の特攻隊員慰霊碑

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亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。

 

先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6千人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。

 

第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。

 

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先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。その中で、生還を期さない特攻隊は信じがたいほどの勇気を示した存在として知られる。昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。

 

関行男大尉(Wikimedia Commons

 

20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺(くうてい)隊が出撃した。人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。

 

生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が「統率の外道」と認めていたように戦術として正常ではない。大西中将は終戦直後、介錯(かいしゃく)なしの切腹で自決している。

 

特攻は戦後、「軍国主義の象徴」などと批判された。選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。

 

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特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。

 

1945年5月、九州沖で特攻を受ける米空母USSバンカーヒル(Wikimedia Commons

 

特攻を「カミカゼ」と呼んだ米軍は、異常な戦術とみなす一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。特攻は、世界が日本人を強い存在とみなす一因となり、戦後の日本も守ってくれている。

 

特攻に赴いた将兵一人一人にさまざまな思いがあったことを想像するとき、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。

 

 

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2024年10月25日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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