横田滋さん、私たちはめぐみさん、そして拉致被害者全員が帰国するまであきらめません
北朝鮮拉致被害者のために戦った横田滋さん(1932-2020)を追悼するエッセイを、アーティストのさかもと未明さんがJAPAN Forwardに寄せた。
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「結婚、本当におめでとう。人生には色々なことがありますが二人で乗り越え、皆の手本になるような素敵な夫婦になってください」
2013年6月9日、結婚式の朝、横田滋さんがくれた言葉だ。私は両親と深刻な確執があり、結婚式の立ち合いを頼めなかった。そんな私の結婚式の形を整えるため、横田滋・早紀江夫妻が親代わりを務めてくださった。
横田夫妻の出会いは、2000年の衆議院選挙の直後。雑誌の漫画企画の取材で大阪17区の西村慎吾氏の出陣式を訪ねると、当時は堺市市議だった三宅博氏(前衆議院議員、2017年没)が、「ぜひ拉致問題を取り上げてほしい」といった。誘われるままに後日、有楽町の街宣活動に参加し、横田夫妻に出会った。
昭和40年生まれの私はめぐみさんと一歳違い。13歳で拉致された愛娘に年が近く、「漫画好き」に共通点を見出したのか、夫妻は私をすぐに覚えて下さった。私は拉致問題についての記事や漫画を描くようになり、反発や脅迫も経験したが、逃げたら人道に外れると考えた。2002年、小泉内閣の時に北朝鮮は拉致を認め、5人の被害者が帰国した。
でもそれから何の進展もない。その後横田夫妻は娘は死んだと「遺骨」まで突き付けられ、次には遺骨が偽物だとわかるなど、普通では考えないストレスに晒されてきた。日本中を行脚した講演は1400回を超え、私の結婚式の日も、朝に川崎駅での街宣の後、式と披露宴に駆け付け、そのあと羽田に向かった。滋さんは2005年に難病を発症したが、当然だ。
2006年からは私も難病を発症していた。親との確執を抱え、むきになって働きすぎたせいか、2010年からは仕事も応援活動もできない困窮と絶望の中に落とされた。そんな私を2カ月ごとくらいに食事に連れ出してくれたのが横田夫妻だ。病で絵が描けなくなった私が歌を始めると、コンサートに来て下さり、私はめぐみさんの帰国を祈り歌った。
私が今の主人(当時は既婚者だった)に出会い、訴訟に巻き込まれた時に相談したのも、結婚を申し込まれた時に「面接」をしてくれたのもご夫妻だ。二人は私が親以上に敬愛する存在となり、私は自分の寿命があるうちにという思いが募って、2017年にサントリーホールで拉致解決を祈るコンサートと、吉井画廊でご夫妻をテーマにした版画展を開いた。
滋さんは、どんなに辛いときも微笑みを絶やさなかった。悲しみが深いほど滋さんの顔には独特の微笑みが浮かぶ。一方、強い意思を忍ばせる鋭い視線も垣間見せた。私は両方を版画に刻んだ。また、入院生活の中で「青い伝説」という拉致被害者の帰国を祈る歌を作って色んな国の言葉に訳し、拉致問題の解説を英訳したホームぺージを作った。高齢ゆえ講演活動が難しくなったご夫妻にネット発信を勧め、動画製作のお手伝いもしたが、確たる反応は得られない。急がなくてはと感じたのは、2017年の版画展の時だ。
あんなに活動的だった滋さんが、その頃には歩くことも話すことも難しくなっていた。私は、世界に直接この問題を発信するため、自作の曲をバチカンで歌うことを思いついた。キリスト教圏で話題になれば、世界的なニュースになるかもしれない。世界中が救出を求めれば、日本政府も北朝鮮も動くだろう。
大それた発想だが、この問題の重要さを理解してくれる多くの方たちの助力で、2018年3月に聖マリア・マッジョーレ大聖堂でロッシーニ・オーケストラの演奏で歌うことを許された。作曲は遠藤征志さん、編曲は三枝成彰先生、上演を榛葉昌寛さんや、モンテリーズィ枢機卿が助けて下さった。
しかし、その歌唱で日本を離れている間に滋さんは倒れた。帰国した私に早紀江さんは言った。「主人は本当に大変で、面会は全てお断りしています。わかってね」
胸が張り裂けそうだったが、耐えるしかないと理解できた。その後一度の面会も叶わないまま、滋さんは亡くなった。私たちは力及ばず、世界の世論を動かすに至らなかった。
しかし、このまま解決できないなどということが許されるのだろうか?「交渉の接点を掴めない」というが、オリンピックの会議では北朝鮮の代表と同じテーブルだったはずだ。小泉純一郎元首相は、一夜にして拉致問題を認めさせた。様々な交渉の糸口は常に動いている。それを切り込めない筈がない。
私は決して諦めることはできない。これからも歌をうたい、絵も見ていただき、横田さんの歩まれた道を世界中の方に知ってもらいたい。その歩みを知れば世界中の方々が解決を求めるはずだ。イタリア(バチカン)での歌唱のあと、百人を超える人が私の周りに集まり、「応援したい、こんな問題があると知らなかった」と言った。世界はまだ拉致問題を知らないのだ。知ってさえもらえば世界は動く。あきらめてはいけない。横田滋さんの人生を「捨て石」にしないでほしい。伏してお願いし、筆をおきます。2020年6月9日
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著者:さかもと未明 (Mimei Sakamoto)
アーティスト。1965年横浜生まれ。1989年漫画家デビュー。レディスコミックの女王として売れっ子に。その後エッセイスト、ジャーナリスト、評論家、コメンテイターなど活躍の場を広げるが、2006年に膠原病を発症。余命宣告を受けるほどに悪化。2010~2015年、ほとんどの活動を休止。2017年に名門・吉井画廊で画家デビュー。2018年、病床で作った「青い伝説」を拉致被害者救済を祈って、バチカンの聖マリア・マッジョーレ大聖堂で歌唱した。現在は日本とフランスを行き来し、シャンソンを本場で学びつつ、執筆や画業を通して、世界にメッセージを発信中。
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