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フィリピン生まれの御嶽海、「長野の誇り」に

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大相撲記者を長く続けた京須利敏(きょうす・としはる)さんに『信州の相撲人』という著作がある。江戸時代の名力士で、現在の長野県東御(とうみ)市出身の雷電が巻頭を飾る。9割6分2厘の生涯勝率を誇りながら、横綱にならず最高位は大関だった。とはいえ、誰もが史上最強力士の太鼓判を押す。

 

Mitakeumi speaks at Dewanoumi stable in Tokyo's Sumida Ward after being promoted to ozeki on January 26.

 

ただ長野県は、後に続く強い力士が出ない「相撲人不作地帯」とあって、執筆に苦労したそうだ。もっとも、木曽郡上松町(あげまつまち)出身の御嶽海が関取になって事情が変わる。平成29年に刊行した新版には「雷電から御嶽海まで」の副題を付けて加筆した。あとがきで「雷電二世」への期待を述べている。

 

大相撲初場所の千秋楽で、関脇御嶽海が横綱照ノ富士を寄り切り、3度目の優勝を果たした。場所後の大関昇進は確実とあって、サンケイスポーツは「雷電以来227年ぶり長野出身の新大関」の見出しを付けていた。

 

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Terunofuji (left) battles Mitakeumi in the penultimate match of the July Grand Sumo Tournament.

 

デイリースポーツによると、「長野の誇り」は偶然の産物ではない。昭和53年の長野国体で、当時の木曽福島町が相撲会場に選ばれると各地に土俵が作られた。幼いころから抜群の身体能力を発揮した御嶽海は、町ぐるみの強化策という後押しも受けてきた。

 

母親のマルガリータさんは、フィリピンのガールズバンドの一員として来日、20歳で大道春男さんと結婚する。御嶽海を里帰り出産して、日本に戻ってきた。令和元年9月の秋場所千秋楽で、御嶽海が2度目の優勝を決めたときのエピソードである。インタビュアーに家族の話題を振られると、マルガリータさんが立ち上がって息子に投げキッスを送り、両国国技館は大いに沸いた。

 

今も母親と「アイ・ラブ・ユー」「ミー・トゥー(僕も)」のやり取りを続ける「フィリピンの相撲人」でもある。

 

 

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2022年1月25日付産経新聞【産経抄】を転載しています

 

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