Spain Princess of Asturias Awards

Katalin Kariko speaks after receiving, together with six other scientists, the Princess of Asturias Award for Technical and Scientific Research 2021 from Spain's Princess of Asturias Leonor, at a ceremony in Oviedo, northern Spain, Friday Oct. 22, 2021. (AP Photo/Manu Fernandez)

新型コロナウイルスワクチンの開発に貢献した
米ペンシルベニア大のカタリン・カリコ客員教授(AP)

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「論文を発表した当時、誰からも電話はかかってこなかった。でも、メッセンジャーRNA(mRNA)は素晴らしい治療法になると確信していた」

 

4月15日、東京都内。社会に大きく貢献した科学者に贈られる「日本国際賞」の受賞者記者会見で、米ペンシルベニア大特任教授、カタリン・カリコは晴れやかに語った。彼女は、新型コロナウイルス禍で初めて実用化され、瞬(またた)く間に世界の主流となったmRNAワクチンの生みの親だ。

 

ウイルスが感染の足掛かりとするタンパク質の遺伝情報を伝えるmRNAを投与し、体内でウイルスのタンパク質を作成。抗体が作られ、免疫を獲得する。他種のワクチンに比べ、人工合成が簡単で、短期間での大量生産が可能。発症予防効果の高さも証明された。

 

 

安全保障そのもの

 

開発の主軸となったのは、独ビオンテックと米モデルナ。米ファイザーと共同開発したビオンテックは2008年、モデルナは10年の創設で、人間で言えば、情報発信力に長(た)けた「Z世代」にあたる。カリコはビオンテックの上級副社長も務める。

 

mRNAは近年、がんや心不全などの治療薬分野でも開発が加速。医薬の世界に大変革をもたらそうとしている。ノーベル賞の有力候補とも目されるカリコ。表舞台に導いたのは、Z世代の創薬メーカーだった。

 

人工的に作ったmRNAは、体内に入ると免疫による激しい炎症反応を引き起こす性質があり、長年臨床応用の障壁となっていた。カリコらは構造に微修正を加えると免疫からの攻撃を回避できることを発見し、2005年に論文を発表。だが、当初はほとんど注目されなかった。

 

風向きが変わったのは10年代以降。mRNAを脂質カプセルなどに封入して細胞に運搬する技術が確立され、効率性が格段に向上した。モデルナやビオンテックが研究開発の勢いを加速。推進力となったのは、国家的な資金の下支えだ。背景に「感染症対策は安全保障そのもの」という危機感がある。

 

 

利益追求ではない

 

感染症のワクチン開発は割に合わないともいわれる。多額の投資をしても、流行が終われば需要がなくなり、採算が取れないリスクがあるためだ。故に企業努力だけでなく、国家の支えが欠かせない。米国防総省機関などの支援を受けて成長してきたモデルナは13~16年の間、1社で計1億ドル(約130億円)超の補助を米政府から受けた。一方、日本医療研究開発機構(AMED)が15年度から5カ年の「新興・再興感染症制御プロジェクト」全体に充てた予算は、単年度で41億~66億円にとどまる。

 

「利益の追求ではない。私たちは、倫理的な義務感からmRNAワクチンを開発してきた」。カリコの言葉が、彼我(ひが)の差を物語る。

 

 

実は2010年代半ば、日本でも自前のmRNAワクチン開発が進められていた。国の研究所にいた石井健(現・東京大医科学研究所教授)が第一三共と取り組んだ公共事業だ。石井はカリコの05年論文を査読した研究者でもあった。

 

「その頃、モデルナやビオンテックは巨額の資金を集め、優秀な研究者をどんどん高給で採用していた。対して日本では、ワクチンは『昔の商売』であり、新しいイノベーションが起こる雰囲気はなかった」と石井。ところが15年、韓国で中東呼吸器症候群(MERS)が流行し、国産ワクチンの必要性を訴える石井に、国も動いた。

 

国は16年に3600万円、18年には6千万円を支出。研究は順調で、動物実験でも良好なデータが得られた。ところが、治験の準備費として4億円の予算を求めると、1千万円に減らされた。「MERSは収束した。企業に出してもらってはどうですか」。担当者はにべもなかった。

 

「新しい技術に思い切って投資をする。そんな胆力と勇気が、日本にはもうなくなっていた」。石井は悔しさを込めて振り返る。

 

 

「人材育成は急務」

 

新型コロナは19年12月、中国・武漢で最初の感染者が確認されてから急拡大し、世界を大流行に巻き込んだ。米国は「ワープスピード作戦」を掲げ、ワクチン開発に約100億ドル(約1兆3千億円)を投入。モデルナなどが支援を受けた。同社やビオンテック・ファイザーは平時からの蓄積を生かし、発生からわずか1年で米国の緊急使用許可を取得した。

 

日本でも、第一三共がmRNAワクチン開発に着手し、海外勢と同時期に設計を終えた。だが実用化につなげるノウハウに乏しく、社会に送り出すための基盤がなかった。結局、国民を守るワクチンは、海外製に頼らざるを得なかった。

 

「コロナ禍で100年に1度レベルのパラダイムシフトが起きた。人材の育成・確保の仕組み作りが急務だ」。同社のワクチン企画部長、丹沢亨は訴える。「産業の基本から、世界に通用する強固な基盤を産官学で作っていかなければならない。今こそ、その契機だ」 (敬称略)

 

 

2022年5月12日付産経新聞【医薬再興 第1部「ワクチン敗戦」日本の現在地~中~】を転載しています

 

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【[医薬再興]「ワクチン敗戦」日本の現在地】
第1回:「ワクチン大国復権」に命運
第2回:場当たり支援 創薬出遅れ
第3回:「ワクチン不信」 開発消極的

 

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