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A dose of the US-developed Moderna Vaccine is transferred to a syringe at a large-scale coronavirus vaccine inoculation site operated by the Self-Defense Forces. (February 2022, Pool photo)

新たに開設された自衛隊が運営する新型コロナウイルスワクチン大規模接種会場で、
米モデルナ製のワクチンを注射器に移す看護師
=2月14日、大阪市中央区の日経今橋ビル(代表撮影)

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「1980年代、日本は自前でワクチンをいっぱい作っていた。それがメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンのかけらもできないような状況に陥ってしまった。この状況から本気で元に戻す。新技術を導入したワクチンを国内で作れるようにしなければ、日本の未来は非常に厳しい」

 

4月4日、東京都内で開かれた「先進的研究開発戦略センター(SCARDA=スカーダ)」の第1回戦略推進会合。初代センター長に就任した科学技術振興機構前理事長の濵口(はまぐち)道成は、新型コロナウイルス禍で海外製が世界を席巻したmRNAワクチンを引き合いに出し、悔しさをにじませた。

 

SCARDAは次の感染症パンデミック(世界的大流行)に備え、3月に発足した、国産ワクチンの開発を推進する国の司令塔だ。

 

世界有数の創薬国でありながら、新型コロナワクチンの開発で欧米に後れを取った日本。海外のメーカー頼みでは、国民の健康と安心を守るのは困難だという現実を突き付けられた。そして、いまだ国内で開発された国産ワクチンはない。

 

 

 

放置された提言

 

平成21年、新型インフルエンザが世界中で流行した。専門家らでつくる厚生労働省の対策総括会議が翌22年6月にまとめた報告書にはこんな提言がある。

 

「国家の安全保障という観点からも、可及的速やかに国民全員分のワクチンを確保するため、ワクチン製造業者を支援し、開発の推進を行うとともに、生産体制を強化すべきである」

 

しかし、この提言はその後顧みられず、事実上放置された。そのツケが今回の「ワクチン敗戦」を招いたといっても過言ではない。

 

日本は1970~80年代、世界的に数少ないワクチン開発国の一つだった。だが、深刻な副反応の問題が次第に表面化する。予防接種禍の訴訟などでは、国の責任を認めて国が敗訴するケースも出てきて、国民の間にワクチンそのものへの不信感が広がった。

 

この問題は、日本のワクチン開発に大きな影響を及ぼした。行政も企業も及び腰になり、新規開発に二の足を踏む。SARS(重症急性呼吸器症候群)などの感染症が国内では大流行とならなかったことも危機感を弱めた。昨年6月に閣議決定した「ワクチン開発・生産体制強化戦略」では、「感染症研究は産官学いずれにおいても先細りしていた」と指摘している。

 

 

治験初期を支援

 

SCARDAは「ワクチン先進国」から転落した現状を打破する組織で、基礎研究から実用化まで一気通貫で戦略的に推進させる狙いがある。企業へのファンディング(財政的支援)機能強化や、世界トップレベルの研究開発拠点の形成などを進める方針で、公募を経て、8月に拠点となる大学などを決定する予定だ。

 

ファンディングでは、厚労省が定める重点感染症に対するワクチン開発の研究に、令和8年度まで1件最大30億円程度を治験第2相までの範囲で支援する。厚労省幹部は「口だけではなく実弾として撃つ。これまでは治験初期の支援が弱かった」と反省を口にした。

 

「イノベーション(技術革新)というのは、やんちゃなところから起こる。権威に対抗し、いや俺たちはこういうやり方をするとか、そんなんじゃないよとか、そういうのを期待したい」。SCARDAナンバー2の「プロボスト」に就任した古賀淳一は「採用したものは一緒に走りながら、われわれが背中を押す」と決意を語る。

 

古賀は4月19日夜、トップの濵口と杯を交わしながら意気投合した。「濵口さんはアカデミア、僕は企業の経験を生かしながら変えていきましょう」。濵口は名古屋大の総長や医学部長などを歴任。古賀は第一三共元専務で研究開発のトップも務めた。2人が手を携え、新しいワクチン戦略がいよいよ動き出した。

 

 

「日本型」産官学集積なるか 研究から実用化 加速狙う

 

昨年12月6日に開かれた、ワクチン戦略について話し合う政府の第6回医薬品開発協議会の会合。日本製薬工業協会会長の岡田安史(エーザイ最高執行責任者)は、令和3年度補正予算案に500億円計上された経済産業省の「創薬ベンチャーエコシステム強化事業」の資料を見て、こう見解を述べた。

 

「日本の創薬エコシステムは、米国などと比べるとなかなかお金が入らないという課題がある。予算化はありがたいが、エコシステムの中で、民のお金と人材が自立的に入っていくことが本質的な方向だ」

 

エコシステムとは、複数の企業などが連携してネットワークを構築し、生態系のように共存共栄する概念。大きなイノベーションを起こすためには、製薬大手やベンチャー、大学、行政などが有機的につながり新薬を実用化させる「創薬エコシステム」の整備が重要というのは政府の共通認識でもある。だが、米国などと比較すると、発展途上といわざるを得ない。

 

 

日本企業として初めて新型コロナウイルスワクチンの治験を開始した創薬ベンチャー「アンジェス」(大阪府茨木市)の創業者で、大阪大大学院寄付講座教授の森下竜一は、日本の現状についてこう指摘する。

 

「研究室から生み出された研究の種を、ベンチャーが受け取って事業化を目指す。日本でもそういった動きは少しずつ生まれてはいるけれども、そこからノウハウや資金力もある大手製薬が引き取って実用化に持ち込むというシステムが日本にはない」

 

 

「バイオ」主流に

 

創薬エコシステムを形成している代表格は、米マサチューセッツ州のボストンだ。バイオテクノロジー(バイオテック、生物工学)を活用したバイオ医薬品の関連産業が集積し、「バイオクラスター」とも呼ばれている。医薬品開発の中心は、化学合成により製造される低分子医薬品からバイオ医薬品に移っているのが世界の潮流で、コロナ禍でメッセンジャーRNAワクチンを開発した米モデルナも独ビオンテックもバイオテック企業だ。

 

1970~80年代にかけてハーバード大やマサチューセッツ工科大(MIT)などの研究者がバイオベンチャーを起業し、90年代にはベンチャーキャピタルによる投資が活発化。2000年以降、グローバルな製薬企業が拠点を置くようになった。20年時点で約500社のライフサイエンス(生命科学)系企業が立地。モデルナもボストンで生まれた。

 

武田薬品工業も、ボストンに研究開発拠点を設けている。社内のみで研究を行っていては大きなイノベーションは生まれにくい―。そう考える同社は、研究開発の「自前主義」から、他社などとの「外部連携」に転換した。

 

約5年前からボストンに滞在している同社ディレクター、加藤省吾が効能を語る。「ベンチャー、ベンチャーキャピタル、メガファーマ(巨大製薬企業)、(大学などの)アカデミア、大学病院などのヒト、モノ、カネが1カ所に集まっているので、基礎研究から実用化までのスピードが速い。NPO法人が率先してラボ(実験室)をいろんな企業とシェアするなどインフラもそろっていて、ベンチャーも生まれやすい」

 

加藤にとって人材の流動性の高さは想像以上で、「3年に1回、キャリアチェンジする人が結構いる。世界のトップタレントが集まってくるせいか、引き合いもすごい。アカデミアにも企業出身の人が多くいて、実用化を見据えて仕事をしている」という。

 

 

神戸などで先行

 

日本でも、阪神大震災の復興事業から産声を上げた神戸医療産業都市(神戸市)、武田薬品が湘南研究所を開放することで設立された湘南ヘルスイノベーションパーク(神奈川県藤沢市、湘南アイパーク)などバイオクラスター形成の取り組みは存在している。だが、ボストンのように世界を牽引(けんいん)するような、突出した存在感を発揮するまでには至っていない。

 

湘南アイパークのジェネラルマネジャー、藤本利夫が指摘する。「日本でもボストンのようなエコシステムは必要だと思うが、そのまま当てはまるわけではない。欧米に比べて人材の流動性も低い。終身雇用制の名残のある風土や、均一性の高い民族であることなど、日本固有の事情を前提として、適した進化の形を考えていく必要がある」

 

日本流エコシステムの形成に向け、手探りが続く。

 

(敬称略)

 

 

2022年5月11日付産経新聞【医薬再興 第1部「ワクチン敗戦」日本の現在地~上~】を転載しています

 

この記事の英文記事を読む

 

【[医薬再興]「ワクチン敗戦」日本の現在地】
第1回:「ワクチン大国復権」に命運
第2回:場当たり支援 創薬出遅れ
第3回:「ワクチン不信」 開発消極的

 

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