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【アトリエ談義】国芳が広げてくれた世界

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江戸文化の中心地、日本橋の魅力を伝えるタウン誌「月刊日本橋」が、日本橋生まれの浮世絵師、歌川国芳の没後160年の今年、国芳研究で知られ、JAPAN Forwardでコラム「アトリエ談義」を連載中の洋画家、悳俊彦氏にインタビューした。悳氏は27年間毎月、同誌の表紙を飾る国芳の浮世絵を提供、解説してきた。国芳との出会いからその魅力までを同誌に語った。

 

 

インタビューは以下の通り。

 

―(編集部)国芳の浮世絵を集めはじめたきっかけを教えてください。

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悳先生(以下、悳)浮世絵は高価なもので、あまり身近に思ってなかったんです。それが古書店でくしゃくしゃの浮世絵が安く売ってた。それは国芳じゃなかったけど、そこから浮世絵を少しずつ集め始めたんです。1972年に、自分の個展を日本橋で開催していた時、個展にいらっしゃった美術評論家の鈴木さんが、「鉄火の浮世絵師」という国芳の展覧会が開催されてるから是非観に行きなさいと招待券をくれたんです。その展覧会で、国芳に開眼したっていうのかな。

 

 

―国芳のどのようなところに魅了されたのでしょうか。

 

 国芳の絵はとても活気があって健康的に見えたんです。たとえば雄渾な武者絵。僕はバロック音楽が好きだから、国芳の浮世絵はバロックだって思った。バロックというのは古典的なルネッサンス期のような絵ではなくて、非常にロマン的な要素が生まれた頃の芸術様式のこと。加えて国芳は性格が非常に明るい人で弟子たちからの人望も厚かった。国芳ほどたくさんの弟子をもっている浮世絵師はいないですよね。写楽なんて偏屈だから弟子がいなかったかも(笑)。それに比べ国芳は誰にでも愛されるような明るい親分肌の性格の人でもあり、とっても気持ちの優しい面もあって、自分の奥さんが亡くなったあとも奥さんのお母さんの面倒をずっとみてたっていう逸話もあるしね。そういう人柄にも惚れたっていうか。

 

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安い物でもいつか世の中が認める

 

―先生の手元に多くの国芳の浮世絵がありますが、そこまで集めるのは大変だったのでは?

 

 国芳の浮世絵っていうのは下は何千円、上は何百万まである。作品もたくさん描いているから安い物も結構あって、とてもとっつきやすかったんです。お金持ちだったらオークションで買ったりもするんだけど、僕の場合は自由業で割と時間があったから、骨董屋、古道具屋、蚤の市や、神田、神保町の古書街でこまめに集めていきましたね。

 

 

―一番手に入れて嬉しかったものは?

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 デパートの古書展で、国芳の浮世絵が画鋲で壁に留めてあったんですよ、お粗末に(笑)。その頃はまだ国芳の評価が定まってなかったし、古本屋も国芳をよく知らなかったしね。でもその浮世絵は国芳を研究するには無視できない非常に重要な絵で、題名は「勇国芳桐対模様」。戦後国芳の大きな展覧会が開催された時にも出ていない作品だったんです。その頃は棟方志功の版画が積んであってね。棟方志功はイタリアの国際美術展覧会ヴェネツィア・ビエンナーレで日本人として初の国際版画大賞を受賞した途端に有名になった人で、それまではそうやって古本屋に積んであった。そんな時代ですよ。

 

 

―発見されてない国芳の絵はこの先出てくる可能性はありますか?

 

 まだあると思いますよ。浮世絵っていうのは国芳に限らず、多く刷られてきましたから。大体最低200枚は刷られるわけ。なので毎日何十枚も描いていたと思われる国芳の浮世絵もまだ何百種類あって、今出てきてるのは氷山の一角だと思いますよ。

 

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―これから浮世絵のコレクターになりたい人もいるかと思いますが、浮世絵も値段が上がってなかなか難しいと思いますが?

 

 しっかり勉強して熱意があれば自分の使えるお金の範囲で国芳に限らずちゃんとコレクションはできます。悳コレクションの展覧会図録にカラーページで堂々と掲載されている国芳の浮世絵があるんだけど、300円で買った浮世絵ですからね(笑)。人が見向きもしないような物の中から自分にピンときたものを買う。その価値を自分で見極めれば、それが安い物でも、いつか世の中が認めてくれる。

 

 

―来月号からは先生のコレクションから明治の浮世絵で小誌表紙を飾らせてもらいます。明治の浮世絵に興味を持たれたのはなぜですか?

 

 国芳を知るには国芳の浮世絵だけ見ていたのでは本当の国芳の良さはわからない。ほかの絵師の浮世絵を見たり、国芳の弟子たちがその後どんな仕事をしたかを辿ったら、国芳の時代を大きな幹とした枝が段々と広がっていった感じですね。結果、明治の浮世絵につながっていったんです。

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(月刊日本橋3月号から転載)

 

この記事の英文記事を読む

 

過去のアトリエ談義シリーズはこちら

 

 

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