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金唐革包太刀 スペインに起源、家康公が戦場で使用

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江戸時代、日光東照宮(栃木県日光市)の徳川家康公の墓所にある宝蔵には、家康公が戦場で身に着けていたとされる甲冑と刀剣が安置されていた。この中の一つ、「金唐革包太刀(きんからかわつつみたち)」は、なめした子牛の革に文様を刻んで金で彩色した「金唐革」で包んだ鞘の部分だ。刀剣が現存しないこともあり、披露されることなく東照宮宝物館(同市)に収蔵されていたが、最近になって16~17世紀初めにスペインで製作された歴史的価値があることが分かった。久能山東照宮(静岡市)にある日本に現存する最古の機械式西洋時計とともに、家康公とスペインの関係を示す貴重な史料となりそうだ。

 

 

近く発行される日光東照宮の社報「大日光」で、詳細が発表される。

 

金唐革包太刀の柄の長さは28・7センチ、鞘の長さは81・0センチ。東照宮の宝物を記した「東照宮御道具留書」によれば、家康公の所用と伝えられる。

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家康公の愛刀をめぐっては、加藤清正公から献上された国宝「日光助真(すけざね)」や、鎌倉時代の名工、国宗が製作した国宝「国宗」などが知られているが、刀剣が現存しない金唐革包太刀への詳細な論考はこれまでなかった。

 

この金唐革包太刀にスポットライトが当たったのは、令和2年10~11月、東京国立博物館で開催された特別展「桃山 天下人の100年」だった。同館の酒井元樹主任研究員の調査により、金唐革の由来が明らかになったからだ。

 

酒井氏は昨年2月、金唐革包太刀の半円形と花形が連続する文様について、江戸時代に流行した動植物を絵画風に多彩色で表すオランダ製との違いに着目。昨年6月、英国の革保全専門機関に問い合わせたところ、金唐革が「16~17世紀初頭のスペイン産のものであろう」と指摘された。

 

さらに、欧州の文献などを調べ、スペイン・カタルーニャ州にある博物館の16世紀の所蔵品に、類似の金唐革があることを突き止めた。この文様はダマスク織という、当時の欧州で流行していたシリア・ダマスカスで作られた染織物の影響を受けているという。

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こうしたことから、金唐革は16~17世紀初めにスペインで製作され、おそらく17世紀初めに日本へ輸入。同じころに家康公のために加工されたとみられる。

 

一方、金唐革には鞘の防水や補強という実用性が考慮された特徴があった。酒井氏は「武器としての実用性と美術的な装飾性が合理的に調和している点が家康公の趣向だと思う」と感想を述べた。

 

金唐革の製作時期が分かったことで、酒井氏は「家康公とスペイン、少なくとも海外との交渉のなかでもたらされた可能性が高い」と話す。

 

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「鎖国=江戸時代」というイメージがあるが、家康公は当初、開国主義者だった。一つの証左が、久能山東照宮にある機械式西洋時計「家康公の時計」だ。

 

慶長14(1609)年、スペイン船が遭難し、千葉県沖に座礁する事件が起きた。家康公は救助された乗組員らを丁重にもてなし、小型帆船を用意して帰国させた。のちに、スペイン国王のフェリペ三世が家康公に贈ったのがこの時計だ。フェリペ三世の父、フェリペ二世に仕えた時計師、ハンス・デ・エバロによって1581年に製作されたものだ。

 

久能山東照宮司の落合偉洲(ひでくに)氏が著した「家康公の時計 四百年を越えた奇跡」(平凡社)によれば、家康公の狙いは、幕府の支配下に置いていた日本の金銀鉱山の産出技術を向上させるために、スペインから鉱山技術者を派遣してもらうことにあった。「家康公が海外への窓を大きく開き、相互の交流を積極的に進めようとしていたことの証拠」(同書)であり、幕府の財政基盤を固めるためでもあった。

 

家康公の時計に象徴された両国の交易は、寛永元(1624)年、幕府がスペインとの国交を断絶し、来航を禁止するまで続いた。時は流れ、家康公の時計は、英国・大英博物館のキュレーター(調査員)による平成24年の調査で希少性が証明された。

 

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金唐革包太刀の調査を終えた酒井氏は「家康公の世界を見据えた広い視野と、泰平の世をつくり出した偉業を感じることができた」と振り返る。遠くスペインからもたらされた2つの宝物は、東照宮の魅力を改めて実感させてくれる。

 

 

金唐革(きんからかわ)
なめした子牛などの皮に文様を施したもので、生産地のヨーロッパでは壁や家具の装飾に使われていた。日本では17世紀以降、主にオランダ製の金唐革が輸入され、花鳥などの文様で色の数は多い特徴がある。大変高価で、裕福な町人の間で金唐革を使ったたばこ入れなどが流行したといい、和紙で模したものも登場した。

 

 

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2021年7月2日産経ニュース【日光東照宮外伝】を転載しています

 

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