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[永遠の北斎]洋画家から見た葛飾北斎

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美術に関わる人たちに葛飾北斎について語ってもらう企画を、ジャパン・フォワードが立ち上げ、私にもオファーがきた。北斎については多くの研究者がおられるので、洋画家の私は、“画家の目から見た北斎”について書くことにした。

 

まず、北斎の偉大さとは、やはり芸術家としての圧倒的な技術力にあると思う。そしてそれは、生涯の弛まぬ努力と探求によって極められた作品群に見て取れる。

 

現代においては、“芸術”の意味が多様化しており、個性さえあれば技術はどうでも良い、という風潮があるのではないだろうか。自ら芸術家を名乗る、俄か芸術家も多い。これについては賛否両論があると思うが、私は芸術家の安売りには反対で、芸術家というのは優れた才能と努力によって、極められた者に与えられる称号であると考える。そして葛飾北斎こそ、その条件を充分に満たした芸術家と言える。

 

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ところで、江戸時代、権威があったのは狩野派の絵師であり、葛飾北斎は市井の町絵師であった。しかし、当時幅を利かせていた狩野派の絵師たちを遥かに超えて、今では町絵師であった北斎が、優れた芸術家として「世界の北斎」に登りつめている。もっとも北斎がそれを知ったら「わしなど町絵師で結構だ」と答えるだろうが・・。

 

さて、北斎作品といえば一般的にはあの有名な「富嶽三十六景」を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、私はあえて北斎の版本類を皆さんにご紹介したい。絵を描く側からしても興味深い作品の多くが版本にあるし、版本には優れた作品が多いにもかかわらず、紹介されることが少ないからだ。

 

有名な大判錦絵の「富嶽三十六景」は、富士山の様々な様子が描かれているが、今からご紹介する「富嶽百景」半紙本全三冊では、さらに広範囲に渡って富士をあらゆる角度から取材しており、実に壮観である。

 

それでは「富嶽百景」からいくつかを紹介することにしよう。

 

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快晴の不二 初編

 

有名な赤富士を思わせるが、色彩に頼ることなく、大判の赤富士よりも、繊細な筆致で微妙な山容を見事に描き切っている。

 

宝永山出現 初編

 

静かな部落が或る時、突然盛り上がり、宝永山が出現した。その有り様を北斎は得意の想像力を持って描いている。慌てふためく村人たちの中に、戸板に打たれる一頭の馬が印象的。北斎の異才ぶりが良く出た一図。

 

夕立の不二 二編

 

静かな富士と、部落に突然の稲妻。左下に描かれた村人たち。小画面でありながら、大自然が生きづいている北斎ならではの逸品。

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月下の不二 二編

墓地のある山の上から狼の遠吠えがこだまする。遠くに砧を打つ人と、シルエットの富士。それを月が照らしてる。北斎の見事な詩情。

 

ここに取り上げたのは僅か四点だが、百図の中には好画面が無尽蔵である。

 

北斎のこうした自然や物に対する集中力は、彼の他の版本類にも共通しており、まさに“画狂北斎”の名に相応しいと云えるだろう。

 

北斎の版本に興味を持たれた皆さんには、ぜひ画集や展覧会、インターネット等で全図をご覧いただきたいと願う。

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筆者:悳俊彦(洋画家)

 

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